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「裏」私的 児童文学作家・作品紹介〔日本編〕

 作品ごとのより詳しい感想を並べたもの。絵本と自伝・評論等は省略した。記述の長短は作品の評価とは無関係。「表」よりさらに個人的な「感想」であって客観的な「評価」ではないことを了承して読んでいただきたい。感想を書く関係上、作品の内容・結末に触れていていわゆる「ネタばれ」になっているものもあるので、未読の方はご注意を。

 読んだ年月日は〔 〕内に示したが、古い部分は明確ではない(〔1976以前〕が小学校時代、1986年以降は社会人になってから)。2000年以降の分はほぼ読了直後に書いているが、1999年以前の分は思い出して書いているので、よく覚えていなくてあまりコメントすべき点が思いつかないものもあるし、事実関係の覚え違いもあるかも。「表」部分と大差ない内容のものになってしまったものもある。逆にすごく好きなもの・おもしろかったものはかえって素っ気なく書いていることもあり。

 出版社・出版年などの書誌事項は「表」を参照のこと。ただし、基本的に初版と同じ形態でないもので読んだものは叢書名等も入れるようにした。

2014年8月31日 鈴木朝子

ア行

あさの あつこ(浅野 敦子/1954~  )
『バッテリー』〔2009.9.11〕
『バッテリー』Ⅱ〔2009.9.13〕
『バッテリー』Ⅲ〔2009.9.13〕
『バッテリー』Ⅳ〔2009.9.14〕
『バッテリー』Ⅴ〔2009.9.16〕
『バッテリー』Ⅵ〔2009.9.18〕
『ラスト・イニング』〔2009.9.?〕
 1巻は主人公原田巧が転校後、後にバッテリーを組むことになる永倉豪と出会い、新田東中学に入学するまでの導入部。一見平凡な少年が才能に目覚めていく話はよくあるが、最初から天才肌の人物の話は難しいのではと思った。まあ主人公のイライラ感は「天才」でなくても思春期共通のものと言えるけど。2巻は中学入学から部の先輩の「いじめ」問題による部活停止まで。ああいるよね、こういう先輩、というすごく嫌な感じがするが、その展西詠司の心情もちょっと共感できるように描かれている。3巻は横手二中との最初の練習試合開始まで。このあたりからスポットが当たり始めるキャプテン海音寺一希はなかなかいいキャラクターでイチ押し。4巻はキャッチャー永倉豪の心の揺らぎが描かれる。ここから最後まで、結局彼がどう吹っ切ったのかあまりよくわからなかった。まあそう簡単にすっきり結論が出せるものではないのでそういう書き方だったのかもしれないが。5巻は再試合前の練習までで、このあたりから横手二中チームの食わせ者、瑞垣俊二の描写がふえる。彼も海音寺と並んでこの物語の中で味のある名脇役となっている。6巻は再試合で一番の注目の門脇秀吾の打席まで。番外編というか続編で再試合の結果と彼らのその後が描かれる。
 一気に読みたかったのでさんざん待って6冊まとめて図書館で借りたのに、最終巻が最後の試合の結果が出る前に終わって、しかもその結果が別の本にあると知ってちょっとショックだった。児童文学は初版のハードカバーで読むのを原則にしているが、すぐに読みたかったのと、後日談がたくさんあるものとして文庫版を買って読んだ。6巻までの文庫版にも番外編の短編が入っているものがあるので、これから読むのなら文庫版のほうがお得かも。野球の物語だが、試合は同じチームとの練習試合2試合のみで(内容は重要だけれど)、しかも結果は二の次。もう少し「野球」の話が書いてあるかと思っていたので、少し肩透かしを食った気分。近年青春スポーツものがいろいろあるが、この話は「スポーツの物語」ではなく「思春期の少年の心を描く物語」だった。主人公原田巧や門脇秀吾ら「天才」の焦燥感のほか、彼らに影響を受ける「普通」の人である永倉豪や瑞垣俊二の葛藤、巧の弟青波の成長なども描かれている。よくできた物語だとは思うが、ちょっと考えていたのとは違う印象だった。
天沢 退二郎(あまざわ たいじろう/1936~  )
『光車よ、まわれ!』〔1976以前〕
 現実の中で不思議なことが起こるタイプのファンタジー。暗く無気味な感じが漂うが、「光車」のイメージが美しい。この人の作品では単独の作品のこれが一番好き。異界が侵み出て来るという感じの悪いもの・怖いものが「水っぽい」ところと結びついているのが「日本的」でうまい、と思った覚えがある。やっとこういう日本独特な味のある現代作品が読めるようになったんだなあと思ったもの。表紙は「光車」をイメージした絵のある初版の頃の方が好み。ちくま文庫でも出ていた。初版と同じ表紙で再刊されたのは嬉しい。
『闇の中のオレンジ』〔1976〕
 次作の<三つの魔法>につながる話の入っている短編集。ばらばらのエピソード集という感じでこれだけで読むと何が何だかわからず、次作へ期待したもの。<三つの魔法>を読んだ後でも関係がわからない(実は関係ない?)話も入っていたような。
『オレンジ党と黒い釜』〔1978〕
 現実の中で不思議なことが起こるタイプのファンタジー。プロローグとなる『闇の中のオレンジ』からリアルタイムで待っていた本編。この作家ならではの暗く無気味な感じながらも独特な味わいがおもしろく読めて、待っていた甲斐があったと思ったもの。三部作の1作目だが、三つの魔法がそれぞれバランスよく出てきていてこれはこれでよくまとまっているので、むしろこれだけで独立の話としても良かったのじゃないかとも思う。
『魔の沼』〔1982〕
 リアルタイムで待ってようやく出た、現実の中で不思議なことが起こるタイプのファンタジー三部作の2作目。1作目はそれだけでちゃんとまとまっていたのに、この2作目は全体的に暗さが増しているしこれだけでは結末がついていないで「以下続巻」になってしまった感じで落ち着かず、ちょっと不満が残ったような覚えがある。
『オレンジ党、海へ』〔1984.8〕
 現実の中で不思議なことが起こるタイプのファンタジー三部作の3作目。2作目はちょっと期待はずれだったのだが、3作目は今まで使われなかった『闇の中のオレンジ』のエピソードも使われたりして話が広がっていったが、未解決の部分もあったような気がするし、話が広がったのはいいが何が何だかよくわからないままに終わっちゃう感じでちょっと「うーん」だった。
あまん きみこ(阿萬 紀美子/1931~  )
『車のいろは空のいろ』〔1989.4〕
 タクシー運転手さんのいろいろな動物や人との出会いを描いた幼年向けの物語。子どものころ読んだかもしれないが忘れたので、改めて読んでみたが「幼年童話」で軽かったらしくまた内容を忘れてしまった。
安房 直子(あわ なおこ/1943~1993)
『ハンカチの上の花畑』〔1976以前〕
 花からお酒を作る小人が出てくるお話。ハンカチの上に黄色い菊の花畑があったような表紙の絵をぼんやり覚えている。民話によくあるような「~してはいけない」をやってしまう話じゃなかったかな。ほのぼのとした感じのタイトルからメルヘンタッチの明るい話を想像していたら、何だかちょっと暗い話だったような…。ほとんど覚えていないのだが、私には合わなかったと思う。だがその暗さも含めて好きというファンは多いらしい。
安藤 美紀夫(あんどう みきお/1930~1990)
『ポイヤウンベ物語』〔1988.9〕
 アイヌの伝説「朱の輪姫」をもとに作られた神話ファンタジー…なのだそうだが、どんな話だったか忘れてしまった。すごく好きだったという人がいるので今度読み返してみようか…。
『でんでんむしの競馬』〔1986.5〕
 自伝的な物語集(?)。いろいろな児童文学の賞を総なめにしたという本。でも暗くて内容が古かった感じがして、あまりおもしろく思えなかった気がする。
石井 桃子(いしい ももこ/1907~2008)
『三月ひなのつき』〔1980以前〕
 ひな人形のない家で、欲しい娘と昔持っていたものが忘れがたい母親との心が綴られる物語。とても印象深く、この人の創作の中では私が一番にあげたいもの。ひな人形への思いというものがひしひしと感じられる。母親の持っていた人形の一式も素晴らしいと思ったが、シンプルに折り紙で作られたものもとても良いと感じられた。挿絵も良かった。
『ノンちゃん雲に乗る』〔1985.12〕
 戦後日本のファンタジーの古典だが、夢オチ的な話だったと思う。この人の創作ならまずこれをあげるべきなのだろうが、大人になってから初めて読んだものであまり思い入れは…(内容も実はほとんど覚えてない…)。冒頭の泣いているところは似たような経験があるので気持ちがわかったりする。しかし「疫痢」は子どものかかる「赤痢」では?
 父の従妹(と言っても8歳違い)からもらった光文社版が家にあった。
『山のトムさん』〔1986.1〕
 これも光文社版で読了。猫をめぐる山村の生活を描いたユーモアあふれるお話。生活の描写は古いがトムさんが良くて、これは大人になってから読んでもおもしろかった。
『迷子の天使』〔1989.10〕
 光文社三部作(?)の3冊目。朝日新聞に連載した、戦中・戦後の東京近郊の主婦の家族や動物を含めた家庭をめぐる物語、らしい。これも大人になってから読んだが、内容を忘れてしまったなあ…。
伊藤 遊(いとう ゆう/1959~  )
『鬼の橋』〔2001.11.8〕
 平安時代の実在の人物小野篁を主人公にして、その少年時代のエピソードという形で書かれた歴史ファンタジー。「鬼」と「橋」がキーポイントとなる、主人公の成長物語である。荻原規子の『薄紅天女』と近い時代を扱っていて共通の登場人物もいるが、どちらかと言うとファンタジーというよりは歴史物語という感じがする。主人公が歴史上にそれなりに知られた人物だからかも。善良な鬼については澤田徳子の『ウロコ』収録の「不帰山物語」を思い出したが、こちらの結末にはほっとする。そう言えばあれも太田大八の挿絵だった。丁寧でしっかりした描写が良い。
『えんの松原』〔2001.11.21〕
 平安時代の歴史ファンタジー。「東宮」などは実在の人物だろうが、今度の主人公は架空の人物。「怨み」を単に消してしまうのではなく、なくならないのなら目に見える形で残して忘れないでいる方がいい、というのは現代にも通じる強いメッセージでもあり、大人の目で読むと少し教訓臭く居心地悪く感じるが、物語としてうまく表現されていると思う。暗い松原の雰囲気と怨霊の「黒い鳥」のイメージは秀逸。平安京に「えんの松原」は本当にあったのだろうか? あったとしたらなくなったのはいつ?
 伴内侍はいい味出している「ばあさん」で楽しい(ラスト近くで行儀作法を仕込んでやろうと「すごみのある顔でほほえんだ」が…(笑))。
いぬい とみこ(乾 富子/1924~2002)
『北極のムーシカミーシカ』〔1976以前〕
 北極のクマとアザラシのお話。クマはアザラシを食べるものという動物の生態に関する記述が織り込まれていることで話題となった気がするが、そのほかのお話の部分もおもしろかったし、動物ファンタジーとしての最後の「祭り」のシーンなども印象的。私が最初に読んだのはまだ久米宏一の絵のものだったかも。今の表紙のアニメ絵は中とのギャップが激しいのであまり良くないのでは。
『ながいながいペンギンの話』〔1976以前〕
 南極のペンギン兄弟の成長物語。『北極のムーシカミーシカ』と同じく「動物」としての物語。かわいくやんちゃな兄弟の冒険が楽しい。これも最初に読んだのは宝文館の横田昭次の絵のだったかも。岩波少年文庫からは大友康夫の挿絵で出ている。
『みどりの川のぎんしょきしょき』〔1976以前〕
 現実の中で不思議なことが起こるファンタジー。「魔女」や謎の歌声、地下の世界など、出てくるものやできごとや場所の雰囲気がちょっと無気味ながらとてもおもしろく、どきどきしながら読んだと思う。この人の作品で一つと言ったら私はこれかも。後の福音館書店版では挿絵は太田大八になっていて、太田大八の絵も好きだが、私にはこの話はやっぱり堀内誠一の絵でないと。
『木かげの家の小人たち』〔1983〕
 イギリスから来た小人たちと人間とのかかわりを描く物語。しばしばノートンの『床下の小人たち』と比較され、人間のくれるミルクがないと生きていけないところがノートンの「借り暮らし」の小人たちよりひ弱で自立できていないと批判されていたような。「空色のコップ」のイメージはきれいで好きだし、ミルクの件は人間との信頼関係の話になっているのであれはあれでいいのではないかと思うのだが、戦争の影などもあって無条件に楽しめない感じも少しした。実は続編の『くらやみの谷の小人たち』の方が面白いという人もいたのだが、ノートンの『野に出た小人たち』とともにそちらは未読。
 この本は大人になってからファンタジーの「基本教養」として図書館にいる間に読了してしまったので、思い入れはあまりないかも。
上橋 菜穂子(うえはし なほこ/1962~  )
『精霊の木』〔1990.11〕
 異星が舞台のSFだが、民俗学的な雰囲気がありあまりSFっぽくなかったような。作者の処女作で、このころいくつか読んだ新鋭の児童ファンタジー・SFの一つだが、残念ながら今一つだった。児童文学のSFということで内心期待が大きかったのかもしれない。物静かな話という印象で(悪く言えば活気がなく)、わくわくするおもしろさが少なかった気がする。
『月の森に、カミよ眠れ』(偕成社文庫)〔2001.11.6〕
 古代日本を舞台にしたファンタジー。神との絆を守れば飢えて自滅するか武力で攻め滅ぼされる。稲作や従属を選べば次第に土地の恵みから見放される。どちらの選択も難しい、いや時の流れ、武力による威嚇の前には後者を選ぶしかなかったとしても、神との絆を失ったことが長い目で見た結果どうでるかはこの本の中では答えられていない。その答えは読者に、ということなのだろう。いわゆるハッピーエンドでないことと合わせて、結末が答えられていないことに居心地の悪さを感じてしまう。ぎりぎりの生活の昔が良かったとは思わないから昔のやり方に戻るべきとは思わない。そもそも歴史の流れは戻せないし、入ってくる「文明」でできることを否定するのも意味がない。その上で何ができるかと重い問いを投げかける本。物語はよくできていて「環境問題」のプロパガンダ本ではないが、ただ楽しむにはやや辛い。
『精霊の守り人』〔2000.4.4〕
 東洋風の世界を舞台にしたファンタジー。これは読みごたえのあるがっちりした「高学年向け」の物語。30歳(!)の女用心棒が主人公という児童文学としては異色(?)な設定。強くたくましいバルサはかっこいいし、呪術師の老人も元気な「バアさん」で、特に女性のキャラクターが魅力的。何となく西洋風な話かと思っていたが、どちらかというと和風と言うか中国風な話だった。この世界の伝説や不思議なものや人々のことがもっと知りたいと思わせる、とてもよくできたおもしろい物語だった。荻原規子のやや軽い『空色勾玉』を経て、心から「好き」と言える、日本産の読みごたえのある「ハイ・ファンタジー」的作品が出てきてとても嬉しい。
 処女作のSF『精霊の木』があまりぱっとしない印象だったのに比べ、断然おもしろく感じられた。
 アニメは「別もの」のところも多かったが、細部への作り込みが凝っていてそれはそれでよくできていて楽しめた(しかしラルンガがちょっと…)。
『闇の守り人』〔2000.4.6〕
 東洋風の世界を舞台にしたファンタジーの2作目。女用心棒バルサが出身国に戻る話。主人公に直接関係ある辛い過去にかかわる話だけに、前作よりも厳しい話と言える。今回も単に読みでがあるだけでなく、とてもよくできていておもしろい。前作とは別の国の、別の伝説・別の風俗が興味深い。男性原理的なものが強い国だが、珍しい女性の医術師が出てきたりするのがにやりとさせられる。しかし書くのに3年もかかっただろう話も、読むのは3日、いやぶっ続けに読めば3時間とかからないんだよなあ。続きはもうないか? あっても3年後かなあ。西の方の(海岸沿いだったっけか?)タンガルの国とかまだ出てきてないけど…?
『夢の守り人』〔2000.10.19〕
 東洋風の世界を舞台にしたファンタジーの3作目。まだ(もう)出ないと思っていたら、思っていたよりすぐ出たので嬉しかったけれど、あの二人の仲はやっぱり進まないんだなー。お話はたくさん出たとしてもずっとそうかも。前作に比べるとややインパクトは弱いかも知れないが、話はおもしろく安心して読める。
 日本イギリス児童文学会で聞いた講演はいろいろな話題も出て楽しく、この作家はしゃべるのもうまい人なんだなと感じた。
『虚空の旅人』〔2001.11.15〕
 <守り人>三部作の外伝(?)。女用心棒バルサは出ないが1・3作目に出た皇子チャグムが主人公。舞台は西南の、今まで名のみ出ていたタンガルのさらに先のサンガル王国。隣国のロタ王国や海の向こうの南の大陸のタルシュ帝国など、世界が一気に広がってまだまだいくらでも話ができそうで楽しみ。ただ今回の国の内乱を唆す陰謀や戦争など、きな臭い匂いも漂ってきたが…。以前も出てきた水の精の世界とともに新しい海の民の生活などまた目新しいものが出てきて興味深い。サンガル王国の裏から女性が賢くまとめているシステムはおもしろい。
『神の守り人〈来訪編〉』〔2003.9.3〕
『神の守り人〈帰還編〉』〔2003.9.4〕
 東洋風の世界を舞台にしたファンタジー<守り人>シリーズの本編、女用心棒バルサが主人公の新作。2冊組で今までで一番分厚いが、ぐいぐい読ませてしまう。バルサはあちこち負傷して痛々しいが相変わらず強くて頼もしい。いろいろな国、いろいろな民族や信仰が出てきて、難しい社会問題も出てきて前途多難な感じだが、壮大な歴史と地理的な広がりが感じられて先が楽しみ。
『蒼路の旅人』〔2005.11.1〕
 <守り人>シリーズの外伝として始まった、皇子チャグムが主人公の<旅人>シリーズの2作目。遠いよその出来事だった「戦争」がにわかに身近なものとなり、「国」を背負うチャグムはますます厳しい状況に立たされていく。「冒険ファンタジー」に複雑な「政治」や「社会」がからんできて、この世界の「歴史」にますます目が離せなくなってくる。ある意味楽しい話ではないはずなのだが、相変わらずぐいぐい読ませる筆力のある面白い物語である。
『天と地の守り人 第一部 ロタ王国編』〔2007.11.15〕
『天と地の守り人 第二部 カンバル王国編』〔2007.11.?〕
『天と地の守り人 第三部 新ヨゴ皇国編』〔2007.11.?〕
 <守り人>シリーズ完結編となる三部作。遂に始まった海の向こうの強国タルシュ帝国の侵攻に際し、バルサ、チャグム、タンダ、トロガイら主要登場人物がそれぞれの形で関係する緊迫の展開。そのほか今までに登場してくるあれやこれやの人物も顔を出すオールスター・キャスト、まさに総集編的な物語。チャグム個人にとっては気の毒かもしれないし、シハナのこととかもう一くさりあってもいいかもというところはあったし、何よりももっと続いてくれてもいいと思っていたのだが、おさまるべきものがおさまるべきところにおさまったかという感じ。描かれた物事の重さ、キャラクターの立ち具合、地理・歴史・「別世界」を含めた世界の造形など、いろいろと読みでがある現代日本ファンタジーの傑作。作者に感謝したい大変すばらしい物語だった。
『流れ行く者―守り人短編集』〔2009.10.4〕
 <守り人>シリーズ番外編となる短編集。「浮き籾」「ラフラ<賭け事師>」「流れ行く者」「寒のふるまい」の5編を収録。まだバルサがジグロと放浪していた頃の物語で、シリーズのファンには嬉しい作品群。おなじみのタンダもいい味出しているが、「ラフラ」の女賭け事師の姿が印象的。番外編でいいからこの世界の話、もっと出ないかな…
『狐笛のかなた』〔2006.12.5〕
 架空の日本歴史もの、というか歴史ファンタジーというような作品。悲劇的な結末になるほかない話なのかとはらはらしながら読んでいたが、自分的にはぎりぎりで許容できる範囲だった。私は「人間」なので、小春丸じゃなかったのかとか、小夜はあれで良かったのか?とか思わないでもないのだが、あれはあれで「ハッピーエンド」と言える結末なのだろうと一応納得。政治的な問題を含め相変わらず読ませる良くできた話である。
魚住 直子(うおずみ なおこ/1966~  )
『非・バランス』〔2002.5.21〕
 いじめにあった経験を引きずっている中学生の少女がふっきるまでの物語。あまりじめじめとはせず割と軽くさっと読める小品だが、いわゆるリアリズムの作品なので初めは読んでいて少し辛い。第36回講談社児童文学新人賞受賞作。ふっきるためには何かきっかけがいるけれど、それに願いをかなえてくれるという「ミドリノオバサン」の力を借りることができて良かったと思う。無言電話での仕返しや万引きや怪しい男との交際や自殺ではなく。ただ、突き放して描かれている母親との関係や、中学生の主人公にはすぐわからなかった、やりたい仕事ができなかった大人の女性の鬱屈を抱えたサラさんの今後が気にかかる。
宇野 和子(うの かずこ/1932~  )
『ポケットの中の赤ちゃん』〔1976以前〕
 お母さんのエプロンのポケットから小さな女の子が…という話。子どものころ、誕生日かなにかで買ってもらって何の予備知識もなく読んだせいもあるだろうが、とてもおもしろかった。お母さんのエプロンのポケットには「たね」が入っているとか、天井の電気のカバーが自動ドアに見えたり、床下には不思議な空間があったり、ものが何となくなくなってしまうのは「とりこみや」のせいだとか、いかにも「ありそう」な数々の発想がいい。「とりこみや」、ちょっとこわいけど。子どものころ読んだこの手の物語としては、柏葉幸子の『霧のむこうのふしぎな町』と「双璧」で大好きな作品。でも久しぶりに読み返すと最後で泣いてしまう。初めて読んだころ中学生がずいぶん大人に感じられたっけ。主人公は幼稚園生だが、それなりのヴォリュームがあるので読めるのは今なら小学校中学年くらいからか。講談社児童文学新人賞受賞作品。
『おたふくか』〔1987.7〕
 蚊取り線香を入れるかとりのぶたさんの、ナンセンスな幼年童話の小品。これもおもしろかったけど、この人の長編読み物が読みたいなあ…。
江戸川 乱歩(えどがわ らんぽ/1894~1965)
『怪人二十面相』(ポプラ社文庫)〔1986.11〕
 児童ミステリーの古典と言うべき作品か。1936年作。子どものころルブランの<ルパン>の次に読もうかなあと思いながら怪奇趣味的なところが強そうでとうとう読まなかったもの。講談調の大げさな語り口というイメージを持っていて、大人になってから姉の読書会か何かの機会についでに読んでみたが、あまり印象に残らなかった。ハードカバー版の図書館での消耗度は激しく、現代でも結構人気はあるらしい。このシリーズの主人公は小林少年かな? 明智小五郎は偉そうだけど何もしないみたいだったし、二十面相は一応悪役だから…。
『少年探偵団』(ポプラ社文庫)〔1986.11〕
 児童ミステリーの古典『怪人二十面相』の続編の一つ。1937年の作品。このタイトルは、ある年代の人にはテレビシリーズの主題歌として思い出されるのだろう。前作とともに続けて読んだが、どちらも具体的な内容はしっかり忘れてしまった。
遠藤 寛子(えんどう ひろこ/1931~  )
『N.D.C.のなぞをとけ―名探偵はエンゼルさん』〔1985.5〕
 児童ミステリー。図書館で使うNDC分類が使われているということで、その筋に興味がある人は読むとにやりとできるかも。ストーリーはまあそこそこ。もしかして子どもにもっと本を読ませるため、分類に興味を抱かせて図書室に足を向けさせようという意図からできたものだったりして。多分単にNDCが使ってみたかっただけだと思うけど、やや無理矢理感あり。
大石 真(おおいし まこと/1925~  )
『チョコレート戦争』〔1976以前〕
 子どもたちとケーキ屋との争いを描いた話。タイトルにひかれて読んでみようと思ったような気がする。結構おもしろかったと思うのだが、でもほとんど内容は忘れてしまった。争いがどうして起きたのか、それで結局どうなったかも…。
大嶽 洋子(おおたけ ようこ/1943~  )
『黒森へ』〔1985.4〕
 昔話風の和風ファンタジー。昔話風ながらオリジナルな感じもしっかりしているし、和風な雰囲気がしっくりときまっていて思いのほかおもしろかった。「山うば」の描写など素朴だが力強い感じで、たまにはこういう物語もいい。『黒森物語』のタイトルでちくま文庫からも出たが、挿絵が変わって抽象画のような感じになってしまったので私としてはこちらの方がおすすめ。
岡田 淳(おかだ じゅん/1947~  )
『二分間の冒険』〔1986.5〕
 現実の子どもが別世界へ行くタイプのファンタジー。この人のはおもしろいらしいと聞いて、自分の好みに合いそうなものを選んでみたが、なんかよくあるタイプの話のような感じで今一つだった。「二分間」というのも「別世界に行っている間はほとんど実時間はたたない」というファンタジーの「お約束」だし。ヴォリュームのある長編を期待しすぎたかも。
『ふしぎな木の実の料理法』〔2000.5.11〕
 森の中で暮らす少し変わった人たちの物語。「人間」となっているけど、耳の大きい姿や住んでいる家とか郵便屋さんや出て来る動物の挿絵の雰囲気などから小人の世界かな?と思われる。この人たちは何で生計を立てているのかとかは深く追及してはいけないタイプ。ちょっと不思議なことがありました、といった感じのすっと読めてしまう「中学年向け」の一見軽めな物語だが、巻が進むにつれ一種の深みが感じられる独特な味のある話。
 送られてきた謎の木の実をめぐる話であるこの1作目は登場人物紹介といったところで、主人公の内向的な少年が苦手だった他人との交流に喜びを見いだす、といったある意味でストレートな「児童文学」として読める。
 この作家では以前『二分間の冒険』を読んだがいまいちだったのでどうかなと思っていたけれど、かえって短めな物語のせいか今回は楽しめた。前は求めるものが少し違っていたのかも。
『まよなかの魔女の秘密』〔2000.5.15〕
 主人公スキッパー少年の隣人ポットさんが魔女にひどい目に遭わされ…というシリーズ2作目。魔女の「正体」はちょっと意外で、ひどい目にあわされても、やっつけられる(だろう)方法を知っても実行しないポットさんの「大人の余裕」「大人の愛」のようなラストに、へえ、と思った。児童文学では珍しい展開ではないかと…。
『森のなかの海賊船』〔2000.5.16〕
 おなじみの森の仲間が昔の海賊の宝を探す「宝探しの物語」であるシリーズ3作目だが、海賊の哀しい思いに触れる哀感漂う話。前作でも感じたが、「中学年向け」のこのヴォリュームの物語でこういう感じを出すのは興味深い。もちろん単なる「ちょっと不思議なことがありました」という物語としてもおもしろく読めるものなのだが。
『ユメミザクラの木の下で』〔2000.5.22〕
 主人公の少年スキッパーが見たことのない子どもたちと出会い仲良くなって楽しく遊ぶが…というシリーズ4作目。タイム・ファンタジー的な話で大人の目で読むとネタはすぐ割れるが、これもラストにはおもしろかった思いとともにほろ苦い哀感が感じられる物語。これはもしかして「大人向け」の物語か?
『ミュージカルスパイス』〔2000.5.26〕
 5作目のこの巻は一転して、みんなが楽しく歌い踊る軽いノリのミュージカル仕立ての物語で(内向的なスキッパーや無口なギーコさんも…)、2~4作目にあるような渋みはほとんどない。わりと1作目に近い味わいの素直な物語だが、別の挿話があったりしてやっぱりちょっとひねっている?
『はじまりの樹の神話』〔2001.7.14〕
 過去からやってきた女の子をめぐるタイム・ファンタジーになっているシリーズ6作目で、ネタを割ってしまうと「龍の子太郎」的物語だったなあ。「剣」はタイム・パラドックス? ただリュウとすぐ「戦う」ことを教えるより、「話し合う」ことを先に教えるべきではないかとちょっとひっかかった。
 自然に近しい「昔の暮らし」が出てくるのは「今のはやり」風か。
 ラストにバーバさんも出てきたし、このシリーズは6作という話もあったらしいので、話のすわりもいいから確かにこれで終わってもまとまりがいいかも。
荻原 規子(おぎわら のりこ/1959~  )
『空色勾玉』〔1988.10〕
 初めて読んだとき、日本の神話を使って「ハイ・ファンタジー」的な作品が書ける、それも「私が」楽しめる作品を書く人が出てくるようになったんだなあと感慨深かったものだ。自分で「ハイ・ファンタジー」、別世界の話を考えるとき、どうしても西洋風の剣と魔法の世界を思い描いてしまうし、<ナルニア国ものがたり>などの翻訳児童ファンタジーを読んで育ってきたため、一部「心はイギリス」だったりしても、やはり自分は日本語しか理解できない日本人、完全には「イギリス」にはなれないという気持ちも抱えていた。日本オリジナルな題材を使って、楽しめるおもしろい物語が出てきたというのは嬉しいことだった。ただ「ああ、先を越されちゃったな」という、少し悔しいような気もしたけれど。会話が現代風で軽くてどうしても気に入らない、という人もいるが、私はこの物語に関しては気にならなかった。本文中に挿絵がないのがかえって良かったかも。
 この話は「神々」と言える「不死人」がまだ実在する、文字通り「神代の時代」の物語。この話のポイントは「古事記」に出てくる神々ではスサノオにあたる人物を、全く異なる感じの人物に変えたことで、これが良かったと私は思っている。詳しい人が見ると、いろいろ共通点があるのかもしれないが。 基本的にはハッピーエンドだが「形代」の意味は重く、鳥彦のことはともかく、奈津女のことでは…。
『白鳥異伝』〔1992.10〕
 <勾玉>三部作の2作目。私の印象としてはアン・ハッピーエンドの感じの強いヤマトタケル伝説がベースで、どうやってハッピーエンド的にまとめてくれるかと思いながら読んだもの。色彩的にきれいなものが好きなので、いろいろな色の勾玉が「玉の御統」に一つずつ集められていくところが(明・暗・幽・顕・生・嬰…とあててある字が今のものと違うところも)おもしろかった。各地を巡るのも、やはり国の名前にあててある漢字が今のと違うのを含めて、おもしろかった。「玉の御統」を集めて二人が出会ったあと途中でちょっと腰くだけになりそうな感じがしたが、持ち直して(?)良かった。しかし明るい菅流は何でもうまくいってしまうような得な性分でちょっと嫌い(笑)。
『薄紅天女』〔1998.8〕
 <勾玉>三部作の3作目。時代は下って神話・伝説の世界から歴史上の平安時代が舞台。この話のベースの一つとなった「更級日記」は、物語に憧れる元気な少女がだんだん冴えないおばさんになってしまったようなぱっとしない印象があったが、この話はそんな感じでなくて良かった。歴史上の事柄や人物のことはどの程度史実に基づいているのか、そもそもどの人物が実在の人物なのかはよく知らないし(坂上田村麻呂や空海ならさすがに知っているが)、覚えている人物もどの天皇の時代だったかなんてすぐにわかったりはしないので、純粋に「物語」として楽しめた。最後の「その後」の部分は、とりあえず主人公二人は幸せだったみたいだからいいや、と思っている。基本的にハッピーエンドとはいえ、今までの話でも、必ずしも全員最後まで生きていて幸せに終わったわけではないし、と。
 表紙装画は出版社が変わっても同じ伊東寛だが(徳間書店になってからは「いとうひろし」)、もともと出版社が違う3巻目は仕方ないとしても、同じ出版社だった1・2巻も叢書が違ってしまったので装幀が違い、我が家にあるのは見かけが全部不揃いになってしまった。同じ雰囲気で並ぶ今の徳間書店版がちょっとうらやましいが、自分が最初に読んだ形のを買いたかったのでまあいいや。古いのも絵自体は好きだし。
『風神秘抄』〔2005.12.8〕
 言われてみれば久しぶりの、<勾玉>三部作の流れを汲む日本を舞台にしたファンタジー。「鳥彦王」の名前ににやりとさせられる。時代は平安初期の『薄紅天女』をさらに下った平安末期の源平の争っている頃で、歴史上実在の人物が前作以上にさらにいろいろ。その分ファンタジー色は薄まったとも言えるが、蔑視されがちな「芸能」というものの持つ力を描いている。この作者には珍しく少年の方の草十郎(足立十郎遠光)が主人公。
 ところで糸世が飛ばされた「異界」は現代の日本だと思うが…?
『これは王国のかぎ』〔2001.10.25〕
 失恋した現代の少女がアラビアン・ナイトの世界で「魔人族(ジン)」となって活躍するお話。現代の少女が「別世界」に行くだけでなく「魔人族(ジン)」になってしまうのも目新しいが、「魔人族(ジン)」にもいろいろ限界があったり罠にはまってしまったりするのがおもしろい。
 何となく読まないで来たが、おもしろかったので読んでみて良かった。現代の女の子の語り口が気に入らないと思う人もあるだろうが、この作家特有の軽いノリが合う人には楽しめる(比較的かっちりした<勾玉>三部作の後でなく、明るく軽い『西の善き魔女』の後に読んで良かったかも)。
『樹上のゆりかご』〔2003.3.17〕
 高校生の学校生活を描いた青春もので、本の体裁としては児童書ではない。ファンタジーである『これは王国のかぎ』のリアリズム続編で、キャサリン・ストーの『マリアンヌの夢』の続編『海の休暇』を思わせる。これはこれとしておもしろいが、『これは王国のかぎ』の話が「夢」の話としてちらっと出てくるのが、嬉しいような残念なような複雑な気もする。行事などかなり具体的な描写が多いので、舞台(モデル)になっているT高校の出身者が読むとおもしろいかも。著者の自伝的な作品と言えるもののようだ。
『西の善き魔女 1 セラフィールドの少女』〔1999.12〕
 新書ノベルズで出た別世界ファンタジーの形を取った物語。初めて見たときはあまりに「少女マンガ」な表紙に正直つまったが、内容も表紙に合った「少女マンガ」だった。これは味わいがいかにも「少女マンガ」に似ているということであって、「漫画は低俗なもの」と思って馬鹿にしているわけではない。小説の表紙や挿絵にイメージを固定してしまいがちな「漫画」を使うのにはあまり賛成しないが、この物語にこの絵(正確には1~4巻の絵)はとても合っている、と思えた。書物の形式としては児童書ではないが、<勾玉>シリーズよりもさらに「軽い」ので一気に読める。この話は明るく楽しく笑える話で、一読して「ああ、おもしろかった。でもそれだけ」という類の作品かもしれないが、楽しめたし私は好きだ。この「軽さ」や「ノリ」が自分には合わない、「物足りない」「つまらない」と感じる人もいるだろうが、それはそれで構わないと思う。
 1巻は「田舎育ちの一見平凡な少女が実は…」という、まあよくあるタイプの物語として開幕する。ところで「セラフィールド」とはイギリスの原子力発電所のある場所の地名だそうだが、関連は?
『西の善き魔女 2 秘密の花園』〔1999.12〕
 2巻は「学園もの」。ファンタジーで「少女マンガ」な学園ものを読むことになるとは思わなかったが、これもなかなか楽しかった。悪ノリでふざけすぎていてついていけない、と思う人もいるかもしれないが、「やおい」同人誌に燃える「女子校生」の姿には笑った。スポーツ関係などでの「先輩(お姉さま)、ステキ!」の世界(昔風に言うと「S」の世界(この言葉を知っている人は…?))は多少誇張されていると思うけどね(女子校経験者は語る…)。
 本編の副題は、1巻を除いて、直接には関係はないが既存の作品のタイトルが使われていて(1巻も私が知らないだけで同じのがあるかも)、それぞれにやりとさせられる。この巻のものはフランセス・ホジソン・バーネットの名作児童文学から。
『西の善き魔女 3 薔薇の名前』〔1999.12〕
 3巻は「宮廷陰謀編」。「民話」である「楽園の物語」は庶民には「異端」になっているが一部の人々には密かに知られていて…という伏線が語られる。
 この巻の副題はウンベルト・エーコの中世ミステリーから
『西の善き魔女 4 世界のかなたの森』〔1999.12〕
 4巻はファンタジーお定まりの「探索の旅編」(?)。ユニコーンやいよいよ「竜」も出てくるのだがちょっとイメージが…? この世界の仕組みも少しずつ見えてきて…。
 この巻の副題はウィリアム・モリスの幻想小説から。
『西の善き魔女 5 闇の左手』〔1999.12〕
 別世界ファンタジーの形を取っていたが、実はSFであったということが明かされる最終巻。「竜」の姿やユニコーンが妙に「ファンタジー」っぽくないあたりでうすうすそんな感じがしてきていたが…。こうなるとこの「世界」の成立の頃の話とかがもっと知りたくなる。彼らの今後もできれば見てみたいし、「東の帝国」のことも知りたい。しかしお父さんはどこへ行っちゃったんだろうか? これも続編への布石かと思ったのだが…? この物語は女性たちが元気なのが楽しかった。少女たちはもちろん、最後に出てきた女王様もなかなか「たぬき」だし。元々この国は「女王の国」なので、それゆえの「権力ゲーム」みたいなのも興味深かった。
 この巻はイラストが変わってしまっていて(気を使ったのか、表紙は目を閉じたところ、口絵は人物は後姿で遠景、本文中は章タイトルページ以外挿絵なし、で違和感は少ないが)、児童書やこういうヤングアダルトものでイラストの印象が強いものは、できればシリーズの最後まで同じ画家を使って欲しいと思った。
 この巻の副題はアーシュラ・K.ル=グウィンのSFから。
『西の善き魔女 外伝1 金の糸紡げば』〔2000.4.17〕
 別世界ファンタジーの形を取った物語の外伝。1冊目はフィリエルとルーンの昔の物語。この二人の「恋愛」がままごとのようで嘘っぽいという批判があり、確かにその通りだと思うが、これはまあ「少女マンガ」だから…世間知らずの少年少女の恋愛を描くとしたらあんなもんかも。ルーンはあれでも前よりましになったんだねえ、ということがわかる話。フィリエルもああいうところを知っているから、いつまでもルーンが心配だったりするんだろうけど、これは「あの子はあんなだったから…」というほとんど親か子どもの頃を知っている親戚の人の感覚だったりして。できればお母さんの話も読みたかったな。どんな人だったんだろう…。
『西の善き魔女 外伝2 銀の鳥プラチナの鳥』〔2001.2〕
 別世界ファンタジーの形を取った物語の外伝。2冊目は本編のサイドストーリーで、4・5巻あたりの頃にアデイルが東へ状勢を探りに行く話。新しいキャラクターも出てこれはこれでおもしろかったけれど、「東の帝国」のことや「なんだかたいへん怖いこと」だったらしいお母さんと会った話も聞きたかったなあ。
『西の善き魔女 外伝3 真昼の星迷走』〔2004.3.10〕
 別世界ファンタジーの形を取った物語の外伝。単行本書き下ろしのあとで改めて新書判で出直したもの。外伝の3冊目だが、実質的には本編の続きで、「氷の都」「真昼の星」といった描き切れなかったエピソードを補完したもの。  これで一段落?したので「続編」があるとしてもかなり先のことか。それとも案外今構想を練っていたりして。ただし「十二国記」ではないが「政治」の話になってくると続きは難しいかも。「三人女王」がブリギオンの問題などをどう処理するか興味があるのだが。それよりも「外伝」なら、あとがきにもあるようにレアンドラ・メインの話も読んでみたかった気も(あの人の性格だとかえって「主役」は難しいか…?)。
『RDG レッドデータガール はじめてのお使い』〔2013.9〕
『RDG2 レッドデータガール はじめてのお化粧』〔2013.9〕
『RDG3 レッドデータガール 夏休みの過ごしかた』〔2013.9〕
『RDG4 レッドデータガール 世界遺産の少女』〔2013.9〕
『RDG5 レッドデータガール 学園の一番長い日』〔2013.9〕
『RDG6 レッドデータガール 星降る夜に願うこと』〔2013.9〕
 「児童文学」は挿絵も重要なので原則児童書として出た単行本で読むことにしているのだが、表紙が単行本と同じだったこともあり、文庫本で読み始めた。最終巻だけまだ文庫が出ていなかったので、これだけ図書館で単行本を借りて読んだ。アニメ化されてアニメ表紙のスニーカー文庫も出ているが、この人のお話はライトノベルの色合いも強いのでそれはそれで似合いなのかも。  一気読みしたので感想もまとめて。  現代日本を舞台にした「学園ファンタジー」だが、山伏とか忍者とか陰陽師とか出てきてこの人の話らしい「和モノ」なファンタジー。  何も知らなかったけれど実は…な主人公がいろいろ知りつつ成長していく、というタイプとしてはオーソドックスなファンタジーだが、むしろ馴染みのない日本の神様や伝説と、パソコン等の現代の文化とのミスマッチ感がおもしろい。化粧や髪を結うことには意味があるんだよね。お母さんは強烈だけど、その他の普通に見える人々もこの現代の中でいろいろ背負ってる。  恋愛ものでもあるが、主役二人の関係が進展しそうでなかなかしないところが「少女マンガ」だったなあ。最後にやっと…!だが、深行くんはきっと雪政の立ち位置である霊的なパートナーである「守護者」としてだけでなく、大成さんのような現世でのパートナーである「夫」の位置も目指してくれるよね! 泉水子ちゃんは、彼が自分にとってかけがえのないものという認識は徐々にできていったけど、それが現世での「恋愛」に通じるものがあるってことには気づいてなかったっぽい…。これからがまだまだ大変そうだ(笑)。  物語が終わった後の登場人物のその後が気になるタイプの良い物語だったと思う。主役二人の動向はもちろん、宗田きょうだいもかなり危ういバランスの上で過ごしているし。いろいろ将来の可能性を見せて、あとは読者の想像に任せる? おそらく続編はないだろうな。読みたい気もするけれど。  全然違う話だけど、読後感が岩本隆雄の『星虫』にちょっと似てるような気がした。
小沢 正(おざわ ただし/1937~  )
『目をさませトラゴロウ』(理論社名作の愛蔵版)〔2001.10.21〕
 テレビの子ども番組で朗読紙芝居みたいになっているのを見て、子どものころ劇になっているのを見たが本ではちゃんと読んでいないかも、と思って読んでみた。全編「山のたけやぶに、とらがすんでいた。なまえはトラノ・トラゴロウといった。」で始まる食いしん坊のトラの短いお話の連作集で、すぐに読める。劇ではトラゴロウが二人になってしまうのと、タイトル部分が出てくる歌を覚えている。
 確かりょうしを食べてしまったりするところなどに批判があったような気がするが、幼児の単純な発想という感じで残酷感はないので(同じようなりょうしが次の話に出てきたりするし)、幼年ものや民話にありがちなパターンで別に私は問題ではないと思う。

カ行

角田 光男(かくた みつお/1924~  )
『やぶれだいこ鬼だいこ』〔1976以前〕
 短編集だったと思う。表題作は、土蔵にある破れた大太鼓は鬼とかかわりがあって…という話じゃなかったっけ?(全然違ったかも)以前家にあったのだが、ほとんど忘れてしまった。
柏葉 幸子(かしわば さちこ/1953~  )
『霧のむこうのふしぎな町』〔1981以前〕
 不思議な町で過ごす夏休みの話。文字通りの「空想物語」で、ややバタ臭い感じがしないでもないが、日本の話とは思えないほど現実離れしていて明るく、とても楽しめた。それぞれの人の店や仕事ぶりや人柄、お土産が特徴を表していておもしろく、どの場面もそれぞれに好きだが、特にかさのエピソードがいい。帰宅後お父さんとどんな話をするんだろうとか、何年「迎え」が来るだろうかとか、主人公が大人になったらまたその子にも「迎え」は来るだろうかとか考えてしまった。誕生日かなにかで買ってもらって読んだ本で、今でも好きなとても気に入った物語。宇野和子の『ポケットの中の赤ちゃん』と並んで、このころ読んだ講談社児童文学新人賞受賞作でおもしろかったもの。全然違う話だが、宮崎駿のアニメ映画「千と千尋の神隠し」の発想の元になったらしい。
『地下室からのふしぎな旅』〔1982〕
 変わり者のおばさんとともに、地下室から不思議なところへ行って冒険する話。『霧のむこうのふしぎな町』とは直接関係はないが、同じ「上杉」姓の子の物語。おもしろく読んだ『霧のむこう~』の後これを読んだが、期待しすぎたのか、自分が大きくなってしまって物足りなくなったのか「同工異曲」のような気がして今一つだった。作家というのは、前と同じような話を書いているだけでは駄目で、よりおもしろい話を書き続けなければならないので大変だなあと思った覚えがある。もう一つだったため<ふしぎ三部作>の3作目は長く未読のままだった。
 挿絵のタケカワこうは前作の竹川功三郎の改名。
『天井うらのふしぎな友だち』(講談社文庫)〔2001.11.17〕
 <ふしぎ三部作>の3作目。姉弟の一家が引っ越してきた村の家に突然変な人たちがやってきて…という話。1・2作目を読んでからだいぶ間があいたせいか、2作目は1作目の同工異曲みたいに感じられて今一つの印象だったけど、これはこれで楽しめた。「夢の乗り物」「夢の根っこ」の発想自体はありがちかもしれないけれど、話の展開はありきたりのファンタジーじゃなくて割と奇想天外かも。これも前2作と同じ「上杉」姓の子どもたちの物語。ただ弟の了がすぐ「これだから女って…」というのとか、姉の紅が結構つんけんしているのとかが少し気になってしまった。「彼ら」が何者なのか、「乗り物のつぼ」って何なのかすぐ出てこなくてのんびり話が進んでいると思っていたら、最後はあれよあれよといううちにいろいろ起こって、ついていくのにちょっと苦労したかも(つぼの修復にどうして「根」がいるの? 「水」は何のためにいるの? なんで草が生えてくるの? とか…)。ともあれ最後は忘れちゃったりしなくて良かった良かった。「山の神」は女性なのね…。
『ドードー鳥の小間使い』〔2000.3.30〕
 突然復活したドードー鳥に振り回されるユーモア・ファンタジー。佐藤多佳子の『イグアナくんのおじゃまな毎日』にユーモアを足してファンタジーにしたような話。悪い奴も最後には仲間になってしまうような、安心して読める物語。ドド三世とドドピスドドがめでたしめでたし…にならないのも人を食ったようでおもしろい。猫には九つの命があるっていうから、レーダーも何度も生まれ変わってカバニアと一緒に暮らしているのかな? ドドピスドドをああいう風に「部分」に分ける魔法って、ベルギーかヨーロッパには何かそういうやり方の典拠があるのだろうか。
 柏葉幸子の作品は久し振りに読んだけど(『霧のむこうのふしぎな町』は大好き)、軽くて読みやすくて楽しい話だった。しかしこの手の「中学年向け」の物語はもう自分にはヴォリュームが足りないなあ(当たり前だけど)。
角野 栄子(かどの えいこ/1935~  )
『魔女の宅急便』〔1988.12〕
 「魔女」が日常の中に普通に存在している、現実とはちょっとだけ違う世界のお話。怖くないかわいい魔女のほのぼのとした町での物語で、現代の「無国籍童話」とでもいうもの(思想的な意味はなく)。宮崎駿のアニメで有名になったが、原作はアニメほど劇的ではなく、伝説的な存在の「魔女」をいかにも現代的な商売である「宅急便」と結びつけるという意外性によるワン・アイデア・ストーリーで、あっさりした好感の持てる小品といった感じだったと思う。
神沢 利子(かんざわ としこ/1924~  )
『ちびっこカムのぼうけん』〔1976以前〕
 ユーラシア大陸風な風俗のエキゾチックさとスケールの大きさが感じられるファンタジー冒険物語。言葉のリズムも良く、出てくる事物などのディテールも含めて文句なく大好きな作品(北斗七星のひしゃくを傾けるとか、腕輪(?)を岩に向かって投げるとか、断片的なシーンは覚えているんだけど、でも粗筋は忘れてしまったかも…!)。挿絵も印象的。
『ヌーチェのぼうけん』〔1976以前〕
 大陸的な北の国での元気な少年のファンタジー冒険物語。読んだと思うのだが今一つはっきりしない。そりでどこかへ運ばれているのに夜こっそり食べ物を与えられながら戻されているというエピソードが出てくるのはこの話だったか…?(その部分が好きだったんだけど)。もう一度ちゃんと読んでみればはっきりするか。
『銀のほのおの国』〔1984.3〕
 現代の子どもたちが入り込んだ動物たちの世界での戦いを描くファンタジー。世界は自然の描写が厳しく雄大で良くできていて全体としてはおもしろかったけれど、大人になってから読んだせいか、主人公の妹への苛立ちや、動物のキャラクターに感情移入しにくいことや、戦いの是非とかに感じられる教訓臭などにやや引っかかりがあったような…。
『くまの子ウーフ』〔1976以前〕
 幼年向けの動物のお話の連作集。「うーふはおしっこでできてるか?」とか幼児が共感しやすい楽しいお話の作品集だったと思う。小さいころに読んだので具体的にはかなり忘れてしまっているけれど、家にあって好きだった物語。テレビ・アニメにもなっているし、絵本や続編の物語集なども出ているようで、今でも人気のある作品らしいのは嬉しい。
『ふらいぱんじいさん』〔1976以前〕
 旅に出た年取った(?)フライパンの冒険を描いた幼年向けの物語。これも家にあって子どものころよく読んだ好きだった物語。最後が悲しくなりそうでちょっとはらはらしたかも。今考えると主人公が「フライパンのおじいさん」というのは結構ユニークな発想のような気がする。堀内誠一の絵も良かった。
銀林 みのる(ぎんばやし みのる/1960~  )
『鉄塔 武蔵野線』〔2002.1.?〕
 これは少年が家の近くの送電線の鉄塔を一つずつたどっていく、という物語である。ただそれだけの単調そうな話なのに、読ませる物語になっている。一見同じような鉄塔もみな一つずつ「個性」があることがわかり、専門用語や独自の「分類」がおもしろく感じられ、次はどんなのだろうとワクワクした気持ちになる。鉄道マニアやコレクターなどのオタクな趣味の一種だと思うが、その思い入れ具合がよくわかる気持ちにさせられる説得力がある話である。少年が主人公だが児童文学ではない(が、児童文学的なテイストもあると思うのでここに載せた)。1994年の第6回日本ファンタジーノベル大賞受賞作の一つで、これが受賞作になるとはさすがこの賞である。最終章の「ファンタジー」な部分が文庫版ではかなり書き換えられて少なくなっているが(映画もできていたが、それもラストは違うとのこと)、もしかすると最終章は全然なくても良かったかもしれない(とはいえ、あの「夢」のような最終章がないと主人公の無念さが辛いけど)。この話は形式としては全然ファンタジーにしなくても十分「ファンタジー」のテイストがあるような気がする。とにかく不思議な迫力のある一作。
小風 さち(こかぜ さち/1955~  )
『ゆびぬき小路の秘密』〔2000.7.13〕
 日本人の作品だが1960年代のイギリスを舞台としたタイム・ファンタジー。作家の人が10年ほどイギリスで暮らしたことがあるせいか、イギリスの描写は翻訳もののように自然な感じはするが、お話づくりが慣れていない感じでストーリーの運び方がややぎごちない気がする。そこそこおもしろいが、物語としてはもう一ひねり欲しいというところか。
 ボタンを5つ集めると起こるはずだったことや、ボタンとチェスの駒の関係とかもっと知りたかったと思う。

サ行

斎藤 惇夫(さいとう あつお/1940~  )
『グリックの冒険』〔1976以前〕
 飼われていたリスが「本当のうち」である森をめざす話。最初に読んだためもあるだろうが、どちらかというと動物ファンタジーと言える『冒険者たち』より、ただの動物の話に近い『グリックの冒険』の方が私は好き。苦労しながら仲間や食べ物を見つけつつ旅をするというのが、ノンフィクションの冒険読み物が好きだった小学生時代の読書の好みに合っていたかも。
『冒険者たち―ガンバと十五匹の仲間』〔1976以前〕
 町のネズミたちが、ある島に住むネズミたちを助けに行きイタチと戦う話。『グリックの冒険』で出した脇役のイメージがふくらんできてできた話だと思うが、より「動物ファンタジー」と言える話になっている。物語の時間的には『グリック~』より前にあたる話か(「十五匹の仲間」のことなど、必ずしもそのままつながっていないかもしれないが)。結構厳しい話でボーボと潮路のことが悲しいので『グリック~』の方が好き。アニメにもなっている。
斉藤 洋(さいとう ひろし/1952~  )
『ルドルフとイッパイアッテナ』〔2001.6.26〕
 猫が見知らぬ町へ行ってしまって「サバイバル」(大げさ?)する話。もっと幼年向きの話かと思っていたら、結構長い話だった。子どものために音読していた初めの方は説明的で少しくどいかなと感じたが(処女作だからか?)、そのうち気にならなくなった(黙読すると速く読めるから?)。「教養が大事」という教訓的なものとして読めなくもないが、別にとりたてて説教くさい話ではなく、するすると読めて楽しめる。主人公のルドルフよりイッパイアッテナの方が味があって好きかも。続きが気になる。
『ルドルフともだちひとりだち―続:ルドルフとイッパイアッテナ』〔2001.8.25〕
 副題にある通り、気になっていた猫の話の続編。岐阜に帰っちゃうのも東京にずっと残っているのもどっちもすっきりしないかなあ…と思っていたら、ああいう落としどころにしたのだな。ルドルフくんの決断は泣かせるけど、「ぼくの名まえは、いっぱいあってな……」のくだりはちょっとにやりとさせられる。
 デビルとの仲直りとかはうまく行き過ぎの感がないでもないけど、まあこれから楽しく過ごせそうで良かった良かった。
『ルドルフといくねこくるねこ―ルドルフとイッパイアッテナIII』〔2002.6.24〕
 人間の字を読めるようになった猫の話の3作目。今回はイッパイアッテナはほとんど出なくて新たに別の猫が加わって一緒に行動する話。猫だけで電車に乗って浅草まで行くくだりは結構リアルかも。
 ルドルフくんは、自分では意識していないようだが今回もいろいろ計画や作戦を立てたりしていて、実は頭がいいという設定のようだ。
 2作目で1作目の懸念事項にカタをつけたのでもう出ないと思っていたが、この3作目が出たのでシリーズはまだ続くかも。続きが出るなら、まだ「恋」の意味がわかっていないルドルフの今後は?(小学校中学年向けの作品なのでそこまでは書かない?)
『ジーク―月のしずく 日のしずく』〔2000.6.15〕
 孤児の主人公の少年が実は…というまあよくあるタイプの別世界ファンタジーかもしれないけれど、淡々としていて主人公がお城に収まってしまったりしないのは良かったかも。神様が月ごとに属性が違うというのはおもしろい。隣の国とか周辺諸国の話とかもっといろいろあるといいのにな。イメージが美しいところは好み。
 斉藤洋と言えば何と言っても『ルドルフとイッパイアッテナ』だと思っていたけれど、先にこっちを読んでしまった。
『ジークII―ゴルドニア戦記』〔2001.9.8〕
 隣の国とか周辺諸国の話とかもっといろいろあるといいのに…と思っていた別世界ファンタジーの続編。「一万の軍が全滅」などちょっとあっさりしている面もないではないが、戦争というものが高揚するものではなく、その手で行う「人殺し」であるということを簡潔に示している。「人の情」が憎しみを、戦いを引き起こす…というようなことが含まれる話だが、ちょっと堅苦しいので、ジークではないが、「今度くるときは…戦以外でやってきたい」な。
 絵は水彩(?)のほかにCGかトーンを使って雰囲気を出しているが、動きの激しい場面で白っぽい背景で輪郭線を入れて漫画っぽくしてあるのはかえって良くない気がした。
斎藤 隆介(さいとう りゅうすけ/1917~1985)
『ベロ出しチョンマ』〔1976以前〕
 時代物の短編集。表題作は悲しい話だし、他に入っていたのがどんな話だったかすっかり忘れてしまった。絵本の作品より印象が残らなかったなあ…。
『ちょうちん屋のままッ子』(角川文庫)〔1982以前〕
 幕末から明治の時代の立身出世ものの長編。これは確か何かの読書会で読んだ本。でもあまりおもしろいとは思わなかったようで印象に残っていない…。
佐々木 たづ(ささき たづ/1932~  )
『白いぼうしの丘』(偕成社文庫)〔2001.12.19〕
 処女作品集『白い帽子の丘』(三十書房 1958) の全収録作に、第2作品集『もえる島』(三十書房 1960) 収録の7作から5作を加え、「少年と子ダヌキ」「モズにのった孝ちゃん」「キツツキとシャボン玉」「さえちゃんの<時の道> 」「金の糸とにじ」「ろうせきの道どこまでつづく」「白いぼうしの丘」「もえる島」「春のおつかい」「あるいた山」「旗じるしになったくぎ」「子ウサギ<ましろ> のお話」の全12作を収録(どうせなら『もえる島』のあと2作「ポストのおてつだい」「大きなとけい」も収録してくれればいいのに。あと調べていたら本によって標題や中の作品の題名が、漢字になったりひらがなになったりカタカナになったりしていてややこしく、引用するときに不便)。
 最後の話は『子うさぎましろのお話』(ポプラ社 1970 三好碩也絵)として絵本で読んだもの。クリスマス・ツリーのシーンのイメージは美しくて好き。「少年と子ダヌキ」と「春のおつかい」が以前どこかで読んだことがあったもの。これらも絵本になっているのを見たのかもしれないが、もしかしたら教科書だったかも。「少年と子ダヌキ」はかわいくて良かった。初めて読んだ中では、木漏れ日の光の糸で傘を修繕する男の話「金の糸とにじ」が一番好きになったかも。イメージがとても美しい。
 しかしこの手の短いお話はやはり子どものうちに読むべきものだと実感。なまじさっと読めてしまうので「はい、次」という感じで、一つ一つゆっくり心にしみいるように読むのが難しい。つまらない「大人」感覚で「教訓」を探してしまったりしてしまうし。そんなものは「物語」をじっくり味わって、その裏で無意識に感じ取っていればいいのだが。
佐藤 さとる(さとう さとる/1928~  )
『だれも知らない小さな国』〔1976以前〕
 戦後日本の児童ファンタジーの代表的作品の一つと思われる、小さな人たち「コロボックル」と人間との交流の物語の第1作。実は3作目を最初に読んでしまったので、この話にそれほどインパクトはなかったかも。1作目は信頼できる人間との出会いと、安住の地を密かに得るための企てを描いて緊張感がある。はじめ村上勉挿絵でない版で読んだので、アイヌ民族風の古風なイメージと現代的な感じのする3作目以降とのギャップを感じてしまった。
 大学図書館で久しぶりに見て借りていた貴重な若菜珪挿絵の本を、コンサートを聞きに行った際置き忘れてなくしてしまい、新版で弁償したがとても申し訳なく残念で悔しかった。
『豆つぶほどの小さな犬』〔1976以前〕
 <コロボックル物語>の第2作。コロボックルの間でも見失われていた「マメイヌ」を探す物語。これも最初は若菜珪の挿絵の本で読んだ。確かこの巻だけもらい物で家にあったはず。安住の地を得て、コロボックルの生活や道具を工夫するところなどのディテールが楽しめておもしろい。竹を四角くするエピソードや安全ピンとカタツムリの殻で罠を作るところ、郵便受けのような「通信社」などを覚えている。
『星からおちた小さな人』〔1976以前〕
 <コロボックル物語>の第3作。一人のコロボックルが人間の少年に捕まり…という話。飛行器械や鉛筆削りの中に閉じ込めるという発想もおもしろいと思った気が…。確かシリーズではこの話を一番初めに読んで、その後で読んだ1・2作目は挿絵が違ったので、2作目と3作目の間に実際以上のギャップを感じてしまった。最初に読んだことと現代的で身近な感じがしたことでシリーズの中では一番印象に残っているような。
『ふしぎな目をした男の子』〔1976以前〕
 <コロボックル物語>の第4作。話としてはそれなりにおもしろかったが、書かれたのも少し間があいたせいか、番外編か外伝のような感じがした。と思っていて見直したら実際そういう感じで書かれたものらしい。最後の看板のシーンはこの話だったんだな。
『小さな国のつづきの話』〔1983〕
 <コロボックル物語>の5作目。大人になってから読んで、うーん…読まなくても良かったかも…と思ってしまった。前作から10年以上経ってから書かれたせいもあるだろうが、私には無理やりのつじつまあわせというか言わずもがなの蛇足をしているような感じがした。自分の中で確立させてしまった世界への新刊はもう余計な感じがしてしまうものの一つ。子どものうちに続けて読めばそんな感じはしないかもしれないが。
『海へいった赤んぼ大将』〔1976以前〕
 無力な赤んぼだけど動物や機械とお話ができて特別な服を着ると…という赤ちゃんの冒険物語。この第1作では海岸にあったパワーショベルに恐竜の魂が乗り移って…というもの。赤ちゃんが実はこっそり冒険して活躍していたらという空想と、パワーショベルって恐竜と形が似ているという斬新な(?)発想から生まれた楽しい物語。
『赤んぼ大将山へいく』〔1976以前〕
 無力な赤んぼだけど動物や機械とお話ができて特別な服を着ると…という赤ちゃんの冒険物語。第2作はタイム・ファンタジーで過去へ行く話。おもしろかったと思うのだが第1作ほどインパクトがなかったのかちゃんと覚えていない。何をした話だったか…。
『ジュンと秘密の友だち』〔1976以前〕
 男の子が裏庭に小屋を作ろうとして、見慣れない子が手伝いに来てくれるのだが実は…という話。この人の作品ではあまり名前のあがらないものかもしれないけれど、私としてはどれか1冊だけと言われたらこれかも。蜂山十五くんの正体というファンタジーの部分より、男の子が苦労して材料を集め小屋を作る過程がすごく好きで、いろいろな材料を組み合わせるパターンが3種類ぐらい出てくる話を自分で作ったりした。
『てのひら島はどこにある』〔1976以前〕
 いろいろな虫の神様が出てくる空想の部分と、現実の日常の部分とが交互に語られる話…だったと思う。これもこの人の作品ではあまり名前のあがらないものかもしれないけれど、ファンタジーじゃない部分も含めて結構好きだったもの。やけどの部分を塗り残した手形を取ってそこを湖に見立てるところなどを覚えている。挿絵は多分池田仙三郎の古い版のもので読んだと思う(新版も挿絵は林静一という人で村上勉じゃない珍しい例)。
『わんぱく天国―按針塚の少年たち』〔1976以前〕
 自伝的物語。飛行機を作る部分はもちろん、枝を折って目印にするとかの子どもたちのそのほかのいろいろな遊びがすごく生き生きとしていて、私にとってはもうなじみのない古い話になるのだがとてもおもしろかった。比較的近くだったので、雰囲気に浸りに按針塚に行ってみたいなと思ったりもした。最後の各人のその後の部分には作者の思い入れが感じられる。
『おばあさんのひこうき』〔1976以前〕
 蝶の羽の模様の編物で空を飛ぶ、という発想の素晴らしいお話。奇妙な「空飛ぶ器械」がおもしろくて、作ってみたくなるように描いてあるのがいい。でもどうして二度とやってみないことにしてしまったのだろうか? 夜な夜な飛んでたっていいと思うのだが。挿絵は同じ村上勉だが、初版よりかわいくデフォルメされた絵に変わってしまったので(なぜ変わってしまったのだろう?)、昔家にあった古い絵の、絵本に近い大きさの本が欲しいな…。
『そこなし森の話』〔1980以前〕
 ちょっと不思議なお話を集めた短編集。「りゅうぐうの水がめ」とか「四角い虫の話」とかがおもしろくて割と好きな一冊。表題作の内容やほかにどんな話が入っていたか実は記憶にないが、よく考えると楽しい話というより、ちょっと大げさに言うとホラーっぽい話が多かったような気がする。短編にしてキャラクター重視でないと、ファンタジーはホラーになるのか? …とか思っていたら作者は中国の怪異譚集『聊斎志異』を愛読しているらしい。
『マコトくんとふしぎないす』〔1976以前〕
 小学校の物置かどこがで、いすを馬に見立てて逆向きにすわって動かすと…という話だったと思う。いすはかつて学校の標準のいすだった角張った木製のものだった気がする。空想だけで終わっていた話だったか、実際にファンタジーになっていた話だったか、あとは忘れてしまっている。単行本ではなく、雑誌掲載の形で読んだかもしれない。もしかしてさわりを読んだだけだったかも…。
『タツオのしま』〔1976以前〕
 池の中に島を造り、島に神社に見立てた石を置いたら…という話。後半のファンタジーの部分より、島を造る部分と「御本尊」のように石を置く、という部分が印象に残っている。「石」に対する思い入れがわかるような気がするからかもしれない。作者の文章によると、もともと前半部分だけのつもりで後半は全然考えずに書いた話だったとか。
『ぼくのつくえはぼくのくに』〔1976以前〕
 鉛筆とかの文房具たちが夜中に「つくえの国」でなにやら争う話…だったかな。タイトルはしっかり覚えているし結構おもしろい話だったような気がするのだが、詳細はすっかり忘れてしまった。これも学習雑誌掲載の形で読んだと思う。
『カラッポの話』〔1976以前〕
 きれいな包み紙の箱のようなものが部屋にあったのであけてみると…という話。あれは結局何だったの?という不条理な何だかよくわからない変な話だったような気がするが、包み紙のイメージがきれいだったのでそれで実は好きだったりして。<コロボックル物語>シリーズ以外では最後に読んだ佐藤さとる作品かも。
佐藤 多佳子(さとう たかこ/1962~  )
『イグアナくんのおじゃまな毎日』〔2000.1〕
 姉がかなり前にくれたのを先日やっと読んだもの。軽いユーモアタッチでラストはうまくまとまっていて楽しく読める良い話。でも前半がちょっと辛かったなあ…。「イグアナ」なんていう手のかかる望まないものを押しつけられて、両親の態度も嫌だったし、何と言っても「徳田のジジイ」と「勉のトンチキ」が、うーやな奴!で殴ってやりたくなる。日本の作品は身近に感じられるせいか、この程度の「現実」でも嫌なものが出てくると少し辛くなる。とはいえ大騒動を経て(経なければならなかったけれど)、両親や友達のことも含めてうまく落ち着いて、まあこうなるだろうというところでちょっとうまく行き過ぎてる感じがしないでもなかったけど、後半は楽しめておもしろかった。イグアナをちょっと飼ってみたくなる…?
『ハンサム・ガール』〔2002.1.25〕
 野球をやっている女の子の話。「普通」じゃないとやっぱりどうしても避けて通れない周囲の反発や、本人の挫折や、そのうえ家庭のごたごたなどもあるけれど、そのへんを一通りくぐり抜けて「さわやかな」物語になっていて、後味の良い話で楽しかった。高校生になっての「両エースの写真」、実現するといいな。マネージャーなんかじゃなくて二人ともピッチャーで、ね。
 自分の働きがふがいないと思われると嫌がるお母さんは世の中のよくある「男」のようでもうちょっと丸くなって欲しいけど、元プロ野球選手という「男っぽさ」と、専業主夫でベビーシッターもやっちゃう「女っぽさ」を持ち合わせてるお父さんがやっぱりいい。
 ところでこの作者は爬虫類が好きなんだろうか…(チーム名はワニの「アリゲーターズ」)。
『しゃべれども しゃべれども』〔2000.9.2〕
 若い落語家と彼に「話し方」を勉強しに来る人々との物語で、「大人向け」の本。それぞれくせのある「生徒」たち、彼らと人の良い主人公との人間模様が楽しくおもしろい。一見地味な話だが、安心して読める安定した筆力のある人だと感じられた。
『神様がくれた指』〔2001.7.19〕
 スリと占い師という二人の青年をめぐる物語で、「大人向け」の本。スリの「職人気質」や占い師の心理がよくわかるような気にさせる。個人的には、はかなげでいながらキレると過激に暴走する(?)早田咲さんが好み(出番少ないけど)。この作家の作品は安心して読めるが、これは結構ハードボイルドな話だった。今度はもう少し穏やかな物語が読みたい。
『黄色い目の魚』〔2003.3.7〕
 高校生の少女と少年交互の視点で描かれた、オムニバス長編の青春物語。この人の作品は安心して読んでいられるので、「痛い」感じがする悩み多き青春ものでも読むのはそんなに辛くない。こういう若い頃が懐かしく、もう一度やってみたいとつい思ってしまうほど。
 自分をしっかり持っているようにほかからは見えても、家族や学校の中で浮いていた村田みのりには「心の避難所」として「通ちゃん」の所があったからこそ何とかやっていけたんだと思うし、木島悟には絵のほかにサッカーがあった。そしてそれぞれ自分が進む道を見出だしていけて、良かったと思える。
 こういううまい青春ものを、子どもや若者でないのに書けるのはすごいなあと思う。
『一瞬の風になれ 1 イチニツイテ』〔2007.9.?〕
『一瞬の風になれ 2 ヨウイ』〔2007.9.?〕
『一瞬の風になれ 3 ドン』〔2007.9.?〕
 陸上競技を中心とした青春もの。登場人物の心理描写はもちろん、練習や競技会の様子もリアルで、全く知識のない陸上競技の用語などが使ってある部分も自然に読めるのはさすが佐藤多佳子。もっと読みたい気にさせ、インターハイの途中で終わっているのが残念(ちょっと『スラムダンク』を思わせる)。安っぽい感動ものとしてとらえられたくはないが、「中高生に読んで欲しい本」。うまくできているスポーツものは、自分が興味がなかったものでもおもしろく「感動的」である。近年の青春スポーツものの名作の一つと言えるだろう。深夜にやったテレビドラマ版は主人公やその周辺の人物のいろいろある部分を描ききれず「感動」部分だけ抜き出したようで感心しなかった。
『ごきげんな裏階段』(新潮文庫)〔2010.5.11〕
 一つのアパートを舞台にした「タマネギねこ」「ラッキー・メロディ」「モクーのひっこし」の3編からなる連作短編集。普通の物語かと思って読み出したら…ファンタジーだった。この人のファンタジーは初めて読む気がする。突然の荒唐無稽な展開にちょっとびっくりした。小品だが、大人を含めた人間模様の書き方がうまい。これは児童文学なのかな?
『サマータイム』(新潮文庫)〔2010.5.19〕
 視点を変え、時期も前後しながら描かれていく「サマータイム」「五月の道しるべ」「九月の雨」「ホワイト・ピアノ」の4編からなる連作短編集。単行本では2作ずつだったものを合本文庫化。子どもや若者の心理など相変わらずうまいなあ~と思っていたら、これがデビュー作とは驚き。二つの家族をめぐる青春小説としても良作。
澤田 徳子(さわだ のりこ/1947~  )
『きらめきのサフィール』〔1990.12〕
 現実の子どもが別世界へ行くタイプのファンタジー。「サフィール」っていうのはファンタジーでよく使われる青い宝石(サファイア)をモチーフにしているのかな?と(「色」や宝石の話は好きなので)、タイトルに惹かれて読んだのだが、うーん覚えてない…。このころ読んだあまり印象に残らなかったファンタジー・SF作品の一つ。
『ウロコ』〔2000.6.13〕
 竜とそのウロコをめぐる、中国の昔話風の「竜を見た」、SFの「再会」、西洋の昔話風の「仮面王女」、日本の昔話風の「不帰山物語」、現代日本の物語の「神竜」というバラエティに富んだ短編集。「再会」と「不帰山物語」が泣けるお話。
 以前読んだファンタジー『きらめきのサフィール』はあまり印象に残らなかったけれど、これはなかなか良かった。ただどちらかというと大人向けの話かも。
重清 良吉(しげきよ りょうきち/1928~1995)
『村・夢みる子』〔1985以前〕
 「少年詩」の詩集。自費出版。同時刊行の1冊目。自伝的な作品が多く、この1冊目は郷里の村での幼少年時代を題材にしている。個人的には小学生のころ通っていた塾の先生の本。収録作には塾の国語の授業の際に教材として使われたものや、思い出として語られたことについてのものもあり、懐かしく思い出された作品もあった。
『街・かくれんぼ』〔1985以前〕
 「少年詩」の詩集。自費出版。同時刊行の2冊目。この2冊目は成長後の街や都会での暮らしを題材にしている。通して読んでいくと自伝的な物語のように読める。中学生時代に勤労動員されて工場で砲弾を作った話とか、敗戦後郷里に帰るときの話などを聞いたことが思い出された。
『おしっこの神さま』〔1985.10〕
 「少年詩」の詩集。自費出版の詩集『村・夢みる子』『街・かくれんぼ』の2冊から選んだものと新作を取り混ぜたもので、自費出版でない初めての詩集。前著2冊に続き全体として自伝的な作品が多い。表題詩はタイトルとして印象が強いので採用になったそうだが、必ずしも代表作と思っているわけでは…と言っていたような覚えがある。いよいよ「塾教師」が「詩人」になった一冊。
芝田 勝茂(しばた かつも/1949~  )
『ドーム郡ものがたり』〔1985.1〕
 別世界ファンタジーの連作の1作目。アイデアやストーリーがどうのという以前に、基本的な小説作りのテクニックがまだすごく下手だと感じた。「~はいけない」というような「テーマ」や「主張」が、文字通りそのまま地の文に出てきてしまい、そういうことは自然に感じ取れるように書くもんじゃないのか?と「教訓臭い」を通り越してびっくりしてしまう。「訳注」も妙にわざとらしく長くて話の流れをそぐし、地の文で人物を「~さん」と言うのもこの長さで軽いメルヘン調でないこの話にはうっとうしく感じられてしまう。主人公が森をめぐって名前をつけていくのなども意味がない感じがした。
 挿絵もいただけない。私は漫画は好きだし和田慎二の作品は好きだが、この絵はあくまで「和田慎二の漫画作品」としての絵になっていて、「イラスト」になっていないと思う。人物の顔やものの輪郭をくっきり描く漫画の絵はイメージを非常に固定化・限定化しやすく、私のように想像力の乏しい者にとっては自分のイメージを作り出すことが困難になるため、文章のある作品の「イラスト」としてはこのタイプの絵はあまり賛成できない。
『虹へのさすらいの旅』〔1985.1〕
 別世界ファンタジーの連作の2作目。世界は一気に広がって1作目より「読める」ようになったがまだまだ…という気がした。
 前作とともに、当時日本の児童文学ではまだ珍しかった別世界ファンタジーを書こうという意欲は買うが、今後のテクニックの向上に期待、というところか。
『ふるさとは、夏』〔2000.5.29〕
 いなかに夏休みを過ごしにきた少年の物語で、地元の少年たちとしっくりいかなかったりと「普通」の物語風の出だしで、どこでファンタジーになるんだ?と思っていたけど、途中からやおらファンタジーになる(笑)。いろいろな神様たちの造型がおもしろい。
 以前処女作の「別世界もの」のファンタジーの連作『ドーム郡ものがたり』『虹へのさすらいの旅』を読んだときは、物語作りがどうにも「下手」だと思ったものだけど、今回読んでみて失礼ながら「おー、上手くなったじゃん」と感心。無理に「別世界もの」にしない方がこの作家には合っているのかな。ただ最後の帰宅後のシーンに<ドーム郡>のころにもあった説教臭いところが残っていたので、パロル舎版で省いたのは正解かも。
庄野 英二(しょうの えいじ/1915~1993)
『星の牧場』〔1987.9〕
 「戦争ファンタジー」とでも言う話か。戦争で心を病んだ男の幻覚の話などというと身も蓋もないが、戦争が絡む話なんて感傷的で嫌いなタイプの話なんじゃないかと思っていたら、思いのほかイメージが美しくて気に入った。もの悲しくストーリーには大して起伏もないが、静かで心にしみ入る感じの物語だった。
末吉 暁子(すえよし あきこ/1942~  )
『雨ふり花 さいた』〔2000.7.7〕
 かわいい座敷わらしが出て来るタイム・ファンタジー的なところもある話。謎解きもありおもしろかったが、タイトルが内容を表していないような気がする(まだ元のタイトル『屋根の上の茶茶丸』の方がいいかな)。ホタルブクロにそんな謂れがあるとは知らなかった。
 「とりこ」という名前に意味はあったのだろうか? 最初、てっきり「座敷わらしにつかまっちゃう子」という意味で、時々そういう神隠しに遭うような子がいる、という話かと思ってしまった。
 あの旅館は座敷わらしがいなくなっても落ちぶれないのかな? 愛想を尽かされたわけじゃないからいいのかな。
 この作家の『かいじゅうになった女の子』は、読んだんだっけ…?
瀬尾 七重(せお ななえ/1942~  )
『ロザンドの木馬』(講談社青い鳥文庫)〔2002.1.7〕
 親を亡くして親戚の家に引きとられたちょっと変わった女の子と、誕生祝いにもらった木馬をめぐる不思議な話。短編連作のような形で、上質な「メルヘン」という感じの、イメージの美しい味わい深い物語。「家」の話にしようと思っていたら違ってきてしまったそうで、はじめ主人公は従兄の淳の方かと思ってしまうような感じもあるが、処女作としては完成度が高いものだと思う。
 主人公の少女の「ホキ」という変わった名前はどこから来ているのだろう…?

タ行

たかし よいち(高士 與市/1928~  )
『竜のいる島』〔1986.6〕
 海竜の謎を探る物語。もしかしたら海棲恐竜が生きているかも…という話だが、期待させておいて何だかはっきりしないまま終わってしまったようで大作の割に今一つだった気がする。まあ恐竜が生きていた!という話にしたらSFになっちゃうから、その後のことが難しいかな。この人だったら考古学のノンフィクションものなど何かもっとほかの作品を読んでいたような気がするのだが、「これ」というものが思い出せない。
高楼 方子(たかどの ほうこ/1955~  )
『時計坂の家』〔2000.4.25〕
 不思議な別世界に惹かれていく少女の物語。ファンタジーというか、ちょっとホラーっぽい感じもする。主人公の「現実」の少女が深刻な悩みを抱えたりしていないのはいいけど、「別世界」に惹かれることは犠牲となることをも要求する、という怖いところのある話。「別世界」との交流がほとんどなく、ただ強制的に引かれていくだけのようなところがちょっと無条件には好きになれないかなあ。おもしろかったけれど。
 語り手が途中から2人になるのは両面からの謎解きという点でおもしろいけど、少し焦点がぼけた感じになったかも。いとこの女の子は直接は絡まないがおもしろい役柄。
 最後の場所に行くときに通るところは明らかにC.S.ルイスの<ナルニア国ものがたり>を意識している。この作者もイギリス児童文学に親しんで育ったのだろうなあ。舞台になる町もエキゾチックなイメージを残した町で、ちょっと日本の「普通の田舎町」風ではないし。
 おじいさんは出番は少ないけれど結構強い印象を残す。頭から信じないわけではなく「見えた」こともあって、ある程度わかってはいるけれど、「ああいうものを良しとしない」態度は、「現実」で生きるためには必要で立派な、しかし厳しく寂しい態度かもしれない。話し言葉に「わし」「~じゃ」とかではなく、「ぼく」などを使っているところは自然で良かった。おじいさんはみんな「わし」を使っているわけではないと思うので。
『十一月の扉』〔2001.10.8〕
 ファンタジーではないが、紅茶の匂いの「イギリスの香り」がする心暖まる作品。中学2年の秋の2か月間、急に決まった転校の前にふと見つけた素敵な「十一月荘」に下宿する…。特に大きな問題はないけれど母親へのちょっとした反発や、月並とはいえ初恋へのときめきなど、思春期の少女の心を丁寧に描いている。丁寧すぎて少し本のヴォリュームが厚くなったかなという気もするが…。隣人のうるさ型のおばさんをも取り込んでしまうくらい人間関係が良くて(こんなにいい関係はそうないだろうけど)、前作『時計坂の家』よりも読み終えてほっとできるいい話。できれば主人公にもっと「十一月荘」に居させてあげたかったなあ。爽子が大学生になって戻ってくると、閑さんは引退して悠々自適で暮らしていて、苑子さんと馥子さんが「十一月荘」を共同経営していて…なんていうのもいいかなあなどと考えてしまった。話中話も楽しい。
竹下 文子(たけした ふみこ/1957~  )
『星とトランペット』(講談社文庫)〔1991.1〕
 初期作品集。読んだことになっているけど、記録を見るまですっかり忘れていたので、どの版で読んだかも実は明確ではない。もしかしたら青い鳥文庫のほうだったかも。
『わたしおてつだいねこ』〔2002.4.19〕
 意欲はあるけど実力の伴わない、どじだけどかわいいねこのお話。おてつだいしようとするとかえって手間を増やすことになってしまって、現実の中の子どものよう。使う方はこれでは怒りたくなるが、あのおかあさんはえらいなあと思ってしまったりして。
『はしれおてつだいねこ』〔2002.4.22〕
 今度は家の女の子の忘れたハンカチを届けに学校へ向かうお話。いろいろ横道にそれてしまったりもするし相変わらず役にはあまり立っていないのだけど、家族の中で大事にされているようだからいいかな…という話。
『おてつだいねこのクリスマス』〔2002.4.23〕
 あまり役に立たないおてつだいねこが、クリスマスに知り合いのお店の前でサンタクロースの格好で客引きをすることになるお話。ちょっと失敗もあったけど、なんと今回は立派に「役に立った」お話で、いずれもほのぼのとしたいい話になっている。
『旅のはじまり』〔2000.8.2〕
 黒ねこサンゴロウの冒険物語シリーズの開幕編。この1作目は人間の少年ケンとサンゴロウの「宝探し」の物語。これはこれでまとまりのいい話でおもしろいが、次作以降でほとんどサンゴロウ、というか「ねこの世界」だけの話になってしまうので、あとから見るとこの話がちょっと浮いている感じがする。なぜサンゴロウの一家がこっちの世界にいたのかとか、そもそも直立して服を着てしゃべる大きなねこがどうして人間に混じって列車に乗っていて見咎められないのかとか、シリーズの最後まで読んでも今一つ納得できなかった。もしかしたら作者の頭の中には最初にねこの世界の話ができていて、あとから人間とかかわる話の方が導入として入りやすいだろうということでこの1作目を作ったのではないかなどと思った。
『キララの海へ』〔2000.8.3〕
 サンゴロウが病気の薬になる貝を採りに禁断の海域へ行くシリーズ2作目。いよいよ本編の「海洋冒険物語」が始まった感じでそれはそれで良いのだが、サンゴロウがいつのまにか「ねこの世界」にそれなりに定着して暮らしていて前作との断絶がありちょっと?と思わせる(それがのちのちの伏線になっているのだけど)。この話にも人間の少女ミリが出てくるが、かかわり方は前作より希薄になっていて、この作品でシリーズは試行錯誤ののち、基本的には人間とのかかわりより「ねこの世界」を描くという方向に確定したのではないかと考えてみた。最初からすべて予定通りに書いているのだとしたらとんだ見当違いだけど…。
『やまねこの島』〔2000.8.4〕
 サンゴロウが医者のナギヒコにある場所の往診を依頼するのだが…というシリーズ3作目。サンゴロウが脇役に回る、「いい人」のお医者さんナギヒコ先生のほのぼのラブ・ストーリー(?)。いや異なるねこ族との対立とか、その一族の中の問題とか、実は結構緊張感のある話なんだけど。いずれ続きがあるのでは、と予感させる話。そうだ、この巻にもミリが出てくるんだった…。
『黒い海賊船』〔2000.8.4〕
 一匹狼の海の男(?)サンゴロウにあこがれる少年(?)のイカマルとサンゴロウが交互に語り手になるシリーズ4作目。サンゴロウの商売に同行させてもらったら怪しげなことがあり、案の定その帰り道に…という話。前作に続きサンゴロウ以外の人物(?)の目を通してという視点が新しい。
 ところで目録などに「瀕死の重傷」とあるのはちょっと…。
『霧の灯台』〔2000.8.7〕
 サンゴロウが霧にまかれてたどり着いた島には気のいい灯台守がいたが…というシリーズ5作目。途中からオチは大体想像がつくが、それでも「泣ける」切ない物語。しみじみとしたいい話で大人には一番うける話のようだが(私も好きだが)、どちらかというと派手さがない静かな物語なので子どもの読者はどう感じるのだろうか。
『ケンとミリ』〔2000.8.8〕
 人間の少年ケン(前シリーズ1作目登場)と従妹の少女ミリ(同2・3作目登場)の絆が描かれる新シリーズの1作目。最初の方のシリーズの1作目よりさらに人間中心の話で、サンゴロウはほとんど出て来ない。新シリーズの開幕というよりは、ほとんど外伝的な話。シリーズの導入にはそんなに人間が必要なのか? いい話なんだけれど、やっぱり浮いているような…。物語のヴォリュームは小学校中学年向けくらいだが、内容は中学生向けくらいの自分探しの青春小説という感じ。
『青いジョーカー』〔2000.8.9〕
 ついに自分の船を手に入れたイカマルが『黒い海賊船』に続き語り手となる冒険物語で、新シリーズの2作目。サンゴロウが危ない商売に手を出しいるのではと心配したイカマルは…という話。『黒い海賊船』と「対」になる話のようで、この話のシーナと『黒い海賊船』のサラが混ざってしまった…。
『ほのおをこえて』〔2000.8.9〕
 やまねこの島での長老の跡目争いに巻き込まれたサンゴロウが見た「現実」と「過去」の光景は…という新シリーズの3作目。『やまねこの島』の言わば「後編」にあたる。クルミの葛藤やサンゴロウの記憶を含めて、シリーズの中では大きな動きのある巻。
『金の波 銀の風』〔2000.8.10〕
 「みどりの小鳥」「幽霊船」「王様の島」の3話を収める短編集。「番外編」とあるけど、話が短いだけで、シリーズ1作目の方がむしろ番外編のよう。「みどりの小鳥」は鳥がストーカーみたいでちょっとざらっとした味わいがしたような。「幽霊船」では『青いジョーカー』から再登場のしゃれた悪女(?)シーナさんが結構格好良かったりして。「王様の島」では王様のとぼけた味わいがいい。
『最後の手紙』〔2000.8.15〕
 海で行方不明になったねこの少女を探しに行ってサンゴロウが出会ったものは…という話。シリーズ完結の解決編で今までの伏線がいろいろ使われるが、サンゴロウ一家がこっちの世界にいた理由などすべて完全には明らかにならなかった気がしたのがちょっと残念。
 岡田淳の<こそあどの森>シリーズと同じく、このシリーズもヴォリュームは「中学年向け」で単なる軽い冒険ものとしても読めるが、『霧の灯台』や『ほのおをこえて』やこの『最後の手紙』などいろいろと深いものが感じられる作品となっていて、「中堅作家」の力量が感じられる。もちろん「大人の深読み」などしないで単純に楽しく読んで構わないのだけれど。
立原 えりか(たちはら えりか/1937~  )
『はかない心』(サンリオ文庫)〔1988.5〕
 いわゆる「メルヘン」の短編集。書き下ろし作品もあり。読んだ当時の感想に甘ったるくて趣味じゃないと書いてある。サンリオ文庫「ファンタジー&メルヘン(童話)」シリーズの唯一の刊行であることもあって、サンリオ文庫はなくなってしまうのでこの機会にと読んでみたのだが、この人は、このタイプの作品は、どうも私には合わないようだ。巻末広告によると少なくとも3巻までシリーズが予定されていたらしい。折込ハガキのアンケートには他に安房直子とか谷山浩子とかの名前があって、この路線を続けようという意図が見えていたのだったが…。
たつみや 章(たつみや しょう/1954~  )
『ぼくの・稲荷山戦記』〔2002.3.28〕
 中学生の少年がかかわった、地元の稲荷山開発を神様がらみで止めようとする顛末を描くファンタジー。キツネたちが楽しい。うまくできている話でおもしろかったが、最近ではファンタジーでも「神様」と絡めてこういう「環境問題」などを扱った話が多いんじゃないかという気がする。「幻」を見せるというやり方が、佐藤さとるの『だれも知らない小さな国』にちょっと似ているなと感じた。ただあの話と違ってこっちの方が結果はもっとシビアだが。挿絵の雰囲気とともに、主人公は小学生高学年くらいにした方が良かったのでは。
『夜の神話』〔2002.4.2〕
 原発事故に月の神ツクヨミをはじめとする神様や座敷ぼっこの「家霊」が絡む物語。これもファンタジーの形で「環境問題」を扱った話と言える。生き物たちと地球の大切さ、受験戦争の弊害などが「闇鬼」という概念でかなりわかりやすく書かれているが、薪・木炭発電で本当にすべてうまく解決するのか?とか少しひねくれて考えてしまう。主人公の「改心」もやや簡単か。美男でニヒルな月の神とか、ややひねているおとものうさぎにちょっとにやりとさせられる。前作に続きここにも海の神様が出てくる。
『水の伝説』〔2002.4.5〕
 大雨による山崩れにカッパや水の神である龍や山の女神が関わるファンタジー。これも山崩れは実は自然災害でなくて杉やヒノキばかり植えた人災である、というファンタジーの形で「環境問題」を扱った話。無気力だった主人公の精神的な成長や山村からの若者の流出問題(?)なども描かれている。いけにえと龍退治の伝説の本当の形がわかるところが謎解き的な部分か。実体は出ないがまたツクヨミさまの名が出てくる。神様の見える人と見えない人がいて、神は信仰(と「酒」?)で力がつくというのが、「神」と信仰のありようを表していると思う。主人公と「タツオ」くんとの関係にこの作者の別名義での傾向を見てしまったりして。
『月神の統べる森で』〔2002.6.19〕
 古代日本を舞台としたファンタジー連作の第1作。まだ開幕編で、典型的な「選ばれた主人公」という形とは言え、細部の生活面までを含め世界がよくできた物語で読みごたえはある。少し意外だったこの巻の結末には厳しいものが感じられるが、縄文(古いもの)=善、弥生(新しいもの)=悪というような図式の単純化、古いものへの美化がやや気になる。
『地の掟 月のまなざし』〔2002.6.21〕
 古代日本を舞台としたファンタジー連作の第2作。前作では少々影の薄かったもう一人の主人公ワカヒコの出番がふえているが、浮世離れした感じ(でその上イラストではワカヒコよりずっとハンサム!)の「英雄的」なポイシュマよりワカヒコの方が苦労が多そう。超自然的なところはなく、支配者に定められている者だけに、自分の国を変えていかなくてはならないという現実的な問題を抱えているからか。
『天地のはざま』〔2002.6.27〕
 古代日本を舞台としたファンタジー連作の第3作。前作でちょっと斜に構えた感じで出てきたホムタを、単純に「善人」とも「悪人」とも言えない複雑なキャラクターとして、もっとひねった活躍をさせて欲しかった。「児童文学」で善とも悪とも言いがたいキャラクターを表すのは難しいので期待していたのだが…。
『月冠の巫王』〔2002.6.29〕
 古代日本を舞台としたファンタジー連作の第4作の完結編。終わり方の意外性は少ないが、この作者の現代ものでもそうであるように、決してハッピーエンドばかりではないので、「戦争」というか「人々の争い」というものについてなどいろいろ考えさせられる。メッセージ的な部分がかなりわかりやすいところが人によってはやや生臭く感じられるかも。とはいえ、全体的によくできていておもしろく、スケールの大きな物語だと思う。
『裔を継ぐ者』〔2005.9.21〕
 <月神シリーズ>の外伝。本伝から五百数十年後の時代を描いているが、生活や信仰の形はあまり変わっていない。比較的わかりやすいストレートな一人の少年の成長物語で意外性は少ないが、悪しきものを「口で言い負かす」のはちょっとおもしろかった。ポイシュマのオオモノヌシはオオクニヌシがモデルだったか。しかしポイシュマはあんなずけずけと意地悪く物を言う人だったかな?(サザレヒコを鍛え直すためにわざとしていたようでもあるけど)
辻 邦生(つじ くにお/1925~  )
『ユリアと魔法の都』〔1987.5〕
 子どもだけの「ユートピア」へ行く少女の話(だそうだが忘れた…)。これも「幻想文学」誌で評価が高かったが、子どものころに読まなかったためか、私には全然駄目だった作品の一つ。1980年代後半に読んだファンタジーのワースト3に入れてたりする。著者唯一の児童小説かも。
筒井 敬介(つつい けいすけ/1918~2005)
『コルプス先生汽車へのる』(偕成社文庫)〔1987.12〕
 「無国籍童話」の一つ。『~馬車へのる』などいくつか同じ人物が出てくる話があるらしい。これも姉の読書会の関係で読んだのだと思うが、どんな話だったかすっかり忘れてしまった。
寺村 輝夫(てらむら てるお/1928~2006)
『ノコ星ノコくん』〔1976以前〕
 ナンセンス・ファンタジーというかSFというか…。この人の作品の中ではあまり知られていないものではないかと思うが、小学生になるかならないかの頃に読んで、すごくおもしろいと思った作品。確か近所の幼稚園の外部に開放していた図書室から借りて読み、その後長いこと本を見かけない「幻の作品」だったがタイトルや表紙はしっかり覚えていた。「鉱石ラジオ」というものを知ったり、水が飲みたいというのはのどを水が流れ落ちていく感じがしないとだめだとかいうのに納得したりした。で、結局どういう話だったかはよく覚えていないので機会があれば再読してみたいが、絶版だろうし今読むと大したことない感じがしてしまうかな。
『こびとのピコ』〔1976以前〕
 オムくんの話を含む短編集。全編オムくんの出てくる連作短編集だったかな?(もしかして長編だったか?) 金色のボールペンのイメージと、最後の話で稲妻に乗って帰ってくるところを覚えている。同じ和歌山静子の絵で新版も出ているようだが、私は旧版の絵がいいな。
『消えた二ページ』〔1976以前〕
 ちょっと無気味なところもあるミステリアスなファンタジー。これもこの人の作品の中ではあまり有名なものではないと思う。タイトルがおもしろそうに思えて読んだのだったか。ほのぼのな「王さま」シリーズのイメージを持っていると、少し意外な「毒」があるという感じの変な話だった。
富安 陽子(とみやす ようこ/1959~  )
『空へつづく神話』〔2002.3.14〕
 学校の図書室に突然現れた白ヒゲの「神様」と少女の物語。この話を読むと、郷土の歴史っていうのは意外に面白いものなのかも、と思わせてくれる。姉に対する気持ちという身近な問題、古くからの信仰と開発という社会的な問題などはさらっと絡めて、なにかもう一騒ぎないのがちょっと肩透かし気味ではあったが、いい意味で軽く、ほっとできる物語だった。「もう会えなくなる」ことにならなくてもいいのに…。

ナ行

中川 李枝子(なかがわ りえこ/1935~  )
『ももいろのきりん』〔1976以前〕
 紙で作ったきりんと女の子の冒険(?)物語。色鮮やかなのが好きなこともあって気に入った作品。キリカは紙でできているのにすごく力強いのが頼もしい。濡れると曲がったり色落ちしたりするけど干せば元気になるなどの「紙」ならではのところもおもろしいが、厚みはどうなっているんだとかちょっと気になったことも。大部分が二色のみのシンプルな挿絵もいい。
『いやいやえん』〔1976以前〕
 保育園の幼児の日常と空想が混じりあったお話。現実の中での「遊び」がファンタジーにつながっていってしまうところがおもしろい。主人公が「良い子」じゃないと刊行当初は物議をかもしたとかいう話があるが、共感できるすごく普通の子どもの物語だと思うし、そんなに衝撃的な作品とも思わなかったけど。「こぐ」ちゃんなど後の作品に出てくるキャラクターもいくつか登場しているのも楽しい。
『かえるのエルタ』〔1976以前〕
 おもちゃのかえるが本物のかえるになって、一緒にかえるのお城へ行く幼年向けファンタジー(そんな話だったっけか…!)。初めて読んだ後、読みたかったのに手近になくて再読できなかったりしたため思い入れのある作品。かえるの国での話がおもしろかった気がするしすごく好きだったのに、でも内容はほとんど忘れちゃったぞ…。
『らいおんみどりの日曜日』〔1976以前〕
 キャベツの好きな緑のライオンの話。娘に歯磨きはらいおんみどりのように「口の中を三べんほどかきまわす」では駄目と教えるのに使った本(笑)。トランプを使って何かをするのと、「サーカスはたのし…」とかいう歌を歌うところがあったと思うのだが、あと具体的なことはやはり忘れてしまっているなあ。楽しいお話だったと思うんだけど。
『たんたのたんけん』〔1980以前〕
 男の子が野原で「探検」するのをファンタジーを交えて描いたもの。黒いゴムの帽子をかぶって…とかの、出てくるいろいろなもののディテールなどを含めておもしろかった。このコンビのいつもながらの楽しいお話。
『たんたのたんてい』〔1980以前〕
 『たんたのたんけん』の続編。今度は「探偵」もの。子ども時代の最後の方になって読んだ作品だったが、これも結構楽しめたと思う。
梨木 香歩(なしき かほ/1959~  )
『西の魔女が死んだ』〔2000.2.22〕
 何となくタイトルが気になっていた作品。登校拒否(今は「不登校」って言うんじゃなかったっけ)になった少女の心を描く小品で、ファンタジーではない(ほとんど)。「ゲンジさん」に対する主人公の疑惑・嫌悪感をはじめ、何かがすっきり完全に解決するわけではないが、納得して読めた作品。母親が「扱いにくい子」と言うのに対し「一緒に暮らせるのは喜びです」と言い切り、責めたり詮索したりせず、ちょっとしたことでもほめるおばあちゃんの態度がいい。親よりも世代が離れている(しかも生まれ育った国も違う)孫と通じ合えるおばあちゃん、というのはなかなか現実にはいないだろうけれど。「おばあちゃん、大好き」「アイ・ノウ」のやりとりはちょっと「スター・ウォーズ」を思わせる。「西の魔女」って悪かったり善かったり、どちらにしても印象的な役柄だ(オズ、ル=グウィン、荻原規子)。
 ところで、最後のおばあちゃんのメッセージは、1ページまるまる使った元版の楡出版のやり方の方がインパクトがあって良かったな。まあ全然読めなくなるよりいいから、復刊されただけでも良しとしなくてはいけないのかもしれないけど。その後、後日談の短編を追加して新潮文庫からも出版された(ただ短編の意味はあまりない気がする)。
『裏庭』〔2000.3.3〕
 こちらは別世界へ入り込むタイプのファンタジーだが、確たる「別世界」があるわけではなく、入り込む人間の心によって作り出され変容して行く世界で、ウィリアム・メインの『闇の戦い』のように、本質はリアリズムである物語。形は違うが、前作と同様、現実の人間の心の中の問題を扱っている。この話にもイギリスとのかかわりが出て来るが、イギリス留学した作者の思い入れか。自分と同じく日本に生まれ育ちながらイギリスの児童文学に親しんだのかもしれないなあと感じた。ただ一風変わった別世界のイメージは西洋風な感じよりむしろ宮沢賢治の世界を思わせ、不思議な印象を残す。
 表紙がきれい。挿絵がカット程度しかないせいもあってか、大人の本のところにあることもある。「ヤングアダルト」のコーナーにあるのが似合う本か。(しかし「ヤングアダルト」って「児童文学」の延長にあって「文学」へとつながるしっかりした読み物と、漫画の延長にあってノベルズやロマンスものなどへとつながるかる~い読み物とに二極分解しているような気がする…。)
『丹生都比売』〔2002.2.11〕
 壬申の乱のころの草壁皇子を主人公にした歴史ファンタジー。他の作品を先に読んでいて現代ものの作家という気がしていたので、長編第2作が歴史ものというのはちょっと意外な感じがした。主人公が少年なのも異色だが、細やかな人物の心理描写はこのころからのものなのだなあと思った。母親(後の持統天皇)の「業」のようなものが哀しく恐ろしく感じられる。「水銀」の扱われ方がおもしろい。
 地味で静かな物語だが、同じ出版社の『エンジェル エンジェル エンジェル』とともに中高生向けくらいの読み物という感じか。装幀は美しい(うぐいす色の表紙に濃いめの赤の見返し。逆なら「襲の色目」では「萩」?)。
『エンジェル エンジェル エンジェル』〔2001.10.3〕
 お得意の「おばあさんと孫娘」もの。現在とおばあさんの若い頃のことが字の色を変えて交互に語られ(ちょっとエンデの『はてしない物語』に似ている)、直接は関わり合わないけれど、二つの物語が呼応しながら進んでいく感じになっている。老人介護や痴呆を背景に、熱帯魚とキリスト教を通して「神」や「天使」や「悪魔」と絡めて、思春期の二人の少女の不安定な心を描いている。キリスト教はこの著者の持ち味である外国風味の一つとして使われていると思う。現在の主人公である少女の悩みははっきりしたものではないし、『西の魔女が死んだ』と同様に確たる解決はないが、読んでいるときは緊張感があって少し厳しいところもあるけれど、読み終えてちょっとほっとする小品。
 他人事なので、おばあさんが応仁の乱の頃のことを語り出すのをもっと聞きたかったりした(自分が当事者だったら怖いか)。
 装幀は渋い金と銀という感じで上品。出版社がマイナーで児童書という体裁でもないので、この本も『西の魔女が死んだ』や『裏庭』のように文庫本になるといいと思うのだが(その後文庫化)。
『からくりからくさ』〔2000.8.28〕
 若い女性たちが共同生活するという話の「大人向け」の本。しっとりした落ち着きのある話で作者のうまさが味わえる。この話も「祖母と孫」の結びつきが描かれていて、古くからのものごとを、こういう風に自然に身につけられている人はいいなと思う(自分は決してこうはできないし、したいとも思わないけれど)。この作者の話では、悩みがある子どもや別世界に行ってしまうファンタジーよりも、こういう穏やかな生活や人間関係を描いた物語がもっと読みたい気がする。
『りかさん』〔2000.8.29〕
 こっちは児童書で、後から出ているが『からくりからくさ』の前日譚にあたる。人形の「りかさん」がより直接的に物語に関わる短編2編からなっている外伝のような感じの話。「大人向け」と「子ども向け」で分かれてしまっていて、どちらかしか知らない人がいたら気の毒。どちらもよくできた話だが。前作がちょっと衝撃的に終わったので、少しほっとできて嬉しいような…。
『この庭に―黒いミンクの話』〔2009.5.13〕
 『からくりからくさ』の後日談の短編「ミケルの庭」(『りかさん』文庫版に収録)の続編。一冊の本になっているけれど事実上は短編。関連の人間関係をだいぶ忘れてしまったので、『からくりからくさ』と「ミケルの庭」を収めた『りかさん』を読み返してからの方がわかりやすかったかも。『からくりからくさ』がどちらかというとリアリズム系の強い話だったのに対し、こちらは幻想味の強い話か。
『家守綺譚』〔2004.9.10〕
 明治も終わり頃の時代の、貧乏文士の日常雑記という形の連作物語。「大人向け」。幽霊やら河童やら小鬼やらが出てくるので「怪談話」と言えるが、ほのぼのとした雰囲気で怖くはない。各章が植物の名前になっていて、それに関連した話になっている。いろいろ起こる不思議なできごとも「そういうものだ」と当然のように言われると「そういうものか」と納得してしまえる感じで、ゆっくりと味わって楽しめる。
 『からくりからくさ』の記述などから植物や古いものごとを書かせたらうまいだろうとは思っていたが、やはり味わい深くうまい。
『村田エフェンディ滞土録』〔2004.9.24〕
 日本では明治から大正時代の、革命や第一次大戦の起こる前のトルコでの一考古学者の滞在記。
 前著『家守綺譚』の中で言及されている「土耳古(トルコ)に行っている友人村田」が主人公。ただし『家守綺譚』は書き下ろしで、こちらは角川書店のPR誌「本の旅人」に2002年10月号から2003年10月号まで連載したものなので、執筆はこちらの方が先か。「大人向け」。
 こちらも「神」の問題など不思議なことも起こるが、どちらかというと異国の下宿での英国人・土耳古人・希臘人・独逸人をはじめとした人々との交流を描いた作品。のんびりとした『家守綺譚』と違って不安な政情が物語にも影を落とすが、小憎らしく愛すべき鸚鵡が救いか。
『沼地のある森を抜けて』〔2009.5.18〕
 家族(女系)に引き継がれる「ぬかどこ」の話。これは…ファンタジーというよりホラーの範疇に入る話か? この人の話なのでそう怖くはないが、これまでの話の中では不気味な感じがやや強いか。ぬかどこから「人」が出てきたりして荒唐無稽と言えば荒唐無稽な話なのだが、例によって淡々と語られていく不思議な物語。なぜそんなことが起こるのか、という少しミステリー的な色合いもある。このところは「児童文学作家」というより「幻想小説家」というのがふさわしくなってきたか。
『f植物園の巣穴』〔2011.3〕
 多分現代より少し前の時代の、植物園に勤める一人の男の出会った不思議なできごと。「ファンタジー」というより「幻想怪奇」に近いかな。この人のものなのでこわくはないが、どこまでが現実でどこまでが「夢」か、ますます何が何だかよくわからない話(褒めてます)。

ハ行

浜 たかや(はま たかや/1935~  )
『太陽の牙』〔1989.4〕
 古代中央アジアを舞台のモデルにした架空の歴史物語の連作の第1作。少々暗くて重いところもあるが、骨太な読みごたえのある物語。それなりに気に入ったが、読み終えたころの感想に「分厚い割に内容の薄い感じとわざとらしさがあるのが残念」なんて書いてあるなあ。とはいえよくある西洋風でないファンタジーは珍しく、しっかりとした世界もできていて全体としては良かったと思う。
『火の王誕生』〔1989.4〕
 古代中央アジアを舞台のモデルにした架空の歴史物語の連作の第2作。時代はかなり下ってファンタジーの要素は減り、より「歴史物語」っぽくなってきた話だったと思う。主人公のホローシが無表情で感情移入しにくいタイプなのがやや難ありだが、「無名の人物が王になる」という定型を踏まえたそれなりにまとまっていた話なので悪くはなかったが…。
『遠い水の伝説』〔1989.4〕
 古代中央アジアを舞台のモデルにした架空の歴史物語の連作の第3作。2作目に続く物語だが、めでたく王になったホローシが落ちぶれていく話で、惨めったらしくて後味が悪くはっきり言って好きになれなかった。前から重苦しいところはあったけれどこれはちょっとなあ…。そのため4・5作目は未読(割と持ち直すということだが…)。
『龍使いのキアス』〔2000.4.14〕
 落ちこぼれと思われていた少女が主人公として活躍する別世界ファンタジー(よくあるタイプ?)。元気で思いこみの激しい少女だったキアスの性格が、最後には言われなくてもいろいろわかるようになってしまってだんだん丸くなってゆくのが残念なような…。途中でちょっと記憶喪失みたいになってしまうところもいただけないなあ。<古代王国物語>は3作目『遠い水の伝説』で少し挫折しているが(1作目の『太陽の牙』はわりと良かったんだけど)、これは主人公のキャラクターがはっきりしていていいなと思ったのに。穏やかにまとまってしまってちょっと気が抜けた感じもするが、読みごたえのあるおもしろい物語ではある。
 何かどこかに似たようなものがあったような気がするが、「おろか者の賢者」の設定はおもしろい。
 カバーは美しくて良い。しかしタイトルはネタばらしでは?
坂東 眞砂子(ばんどう まさこ/1958~  )
『はじまりの卵の物語』〔1990.12〕
 現実の子どもが別世界へ行くタイプのファンタジー。新鋭作家のデビュー作だったと思うが、ちと「はずれ」だったらしく内容覚えてない…。ホラーっぽくはなかったと思うが、どんな話だったか…。
『満月の夜 古池で』〔2001.12.3〕
 現実の中で不思議なことが起こるタイプのお話。児童文学でデビュー後大人向けのホラーなどを書くようになって直木賞を受賞した作家だけあって、何が何だかわからない前半は無気味な雰囲気が色濃く漂っていてホラー調だが、謎が明らかになってカラスに変身させられてからの後半はかえってユーモア・ファンタジーという感じ。都市伝説として有名な(?)「下水道のワニ」が出てきたりするのもおかしい。変身しているとだんだん「カラスの頭」になっていくのは怖いといえば怖いが、カラスとして飛ぶことの素晴らしさを感じるという描写はうまい。環境問題的なこともさらっとふれて、あまり説教臭くないところはいいかも。挿絵は動物の絵はなかなかはまっているけれど、少年の絵などがちょっとかわいすぎて、特に前半の無気味な感じと少し合わない気もする。
 以前読んだ『はじまりの卵の物語』はちと「はずれ」だったが、この作品はそれなりに楽しめた。
平塚 武二(ひらつか たけじ/1904~1971)
『いろはのいそっぷ』(平塚武二童話全集2)〔1982以前〕
 「いろは…」の1文字ずつに対応する小話集。家にあったのだがあまり思い入れはなかったので細かいことは記憶になく、「ゐのししはゐなくなった」とかいうのがあったことと、表紙にきつねの絵が描いてあったことなどを覚えている。
『風と花びら』(岩波少年文庫)〔1982以前〕
 短編集。これも読書会か何かで読んだ本だったか。あまり印象に残っておらず、古い感じがしたような気がする。1942年初刊。
『太陽よりも月よりも』〔1988.9〕
 架空の国の歴史物語。家にずっとあったのだが、ふと思い立って読んだもの。家にはもうなくなったあと古本屋の店舗内で立ち読みしたものだったかも。タイトルは格好良くて気にはなっていたもの。壮大な物語のようだが(実は覚えていない)、「太陽よりも月よりも」と偉くなった後没落していく話だったようで、あまり好きなタイプの話ではなかった気がする。1946年初刊。
福永 令三(ふくなが れいぞう/1928~  )
『クレヨン王国の十二か月』(児童文学創作シリーズ―クレヨン王国シリーズ1) 〔2002.1.17〕
 女の子が性格と行いにやや難ありの「王妃さま」と一緒に、不思議な場所で様々な冒険をする物語。夢オチだが話の始まり具合から予想できるし、「中学年向け」の軽い話なのであまり気にならずに読めた。12色のクレヨンにちなんだ色の世界がそれぞれおもしろい。1980年代になってから続編が次々に30冊以上刊行され(主人公はそれぞれ異なる)、人気のあるシリーズになっているらしい。
舟崎 克彦(ふなざき よしひこ/1945~  )
『トンカチと花将軍』〔1980以前〕
 愛犬を探して不思議な世界へ迷い込むナンセンス・ファンタジー。出てくるいろいろなものやキャラクターやできごとがそれぞれおもしろくて楽しいお話。水たまりのジャボチンスキーの名は、東京オリンピックを知っている年代の人をにやりとさせるらしい。ウイラーがふわふわしてて気持ち良さそうで(?)好き。
『ぽっぺん先生の日曜日』〔1980以前〕
 冴えない大学の生物学の先生が奇妙な出来事に巻き込まれるナンセンス・ファンタジーの1作目で、なぞなぞの本の中に入り込んでしまうという話。解かなければならないなぞなぞが駄洒落のようでおかしい。この1作目は単純な話だが、2・3作目にあるようなグロテスクさがほとんどなく明るいのでシリーズの中では一番好きかも。
『ぽっぺん先生と帰らずの沼』〔1980以前〕
 ナンセンス・ファンタジーのシリーズ2作目。今度は先生が次々と動物に変身してしまう話。食物連鎖の形で食べられながら…というところなどに少々グロテスクさが出てきていてやや暗いので心から「好き」とは言えないが、単純な1作目より物語としてはよくできていると思う。
『ぽっぺん先生と笑うカモメ号』〔1980以前〕
 ナンセンス・ファンタジーのシリーズ3作目。今度は変な動物たちと奇妙な旅をすることになる話。一見単なる軽い笑い話みたいだが、この作品がこのあと読んだ2作を含めて一番完成度が高く、一番グロテスクで無気味なところがある物語で、ファンタジーというより「幻想文学」と言えるものではないかと思う。でも「好き」とは言えないけど…。
『ぽっぺん先生とどろの王子』〔1981以前〕
 ナンセンス・ファンタジーのシリーズ4作目。今度は地下のハニワの国へ行く話。完成度の高かった『ぽっぺん先生と笑うカモメ号』のあとでちょっと軽い感じの物語になっていたので、ほっとすると同時に少し気が抜けたかも。
『ぽっぺん先生の動物事典』〔1981以前〕
 ナンセンス・ファンタジーのシリーズ5作目。今度は「冒険」はなしで先生が語る形式の物語。『ぽっぺん先生と笑うカモメ号』が好きというわけではないんだけど、この3作目がピークだった感じがして、軽い感じの話が続いたのでそろそろもういいかな…という気になってきた巻。
『雨の動物園―私の博物誌』(偕成社文庫)〔1987.1〕
 さまざまな動物たちとの出会いと別れを描いた自伝的物語。いくつか賞を取ったりもしているのだけど、あまり印象に残らなかったらしく内容を覚えていない。
古田 足日(ふるた たるひ/1927~  )
『大きい1年生と小さな2年生』〔1976以前〕
 体は大きいけれど弱虫の1年生の男の子と、小さいけれど気が強い2年生の女の子の話。確か1年生のときに読んで(2年生の子が年上っぽく感じられたと思うので)、何だか印象に残っている本。男の子が切通しの道を大きくあけた口みたいに見えて怖かったのとか、遠くの場所へ行くのにレイの紙の花を一つずつちぎって置いていったり、小川を渡るのに看板を橋代わりに渡したりしていたのを覚えている。読み直してみたが、いい話だ。東京なのに畑や野原が多かったりバスが10円だったりするのに少し時代を感じるが。ホタルブクロの花が好きになる話。
『ロボット・カミイ』〔1976以前〕
 紙箱でできたロボットの話、だったと思う。幼稚園に行って、いたずらでわがままな幼児を思わせる行動をして騒動になるという楽しい話だったかな?(そもそもちゃんと読んだんだっけ) 一度壊れちゃうけど最後には元に戻る話だったような気がする。
別役 実(べつやく みのる/1937~  )
『うつぼ舟』〔1988.10〕
 独特の住人がいる「和風」な別世界のファンタジーの1作目。話がやや暗くぱっとしないのが最大の難点。挿絵が私には好みじゃないこともあって残念ながら今一つだった。地図がついているのは良いけれど。雑誌「幻想文学」で結構評価されていたのでかなり期待したからかも。もう少し「明るさ」や「活気」があればなあ…。
『あまんじゃく』〔1988.10〕
 独特の住人がいる「和風」な別世界のファンタジーの2作目。いろいろな種族や場所の様子は興味深いのだが…。
『浮島の都』〔1988.10〕
 独特の住人がいる「和風」な別世界のファンタジーの3作目。第一部となる「《おおうみ》の巻」三部作が完結。まだ一段落というところで先がどうなるかが気になるところだが、その後続巻は出ていない。地味なので読者があまりつかなかったからか?

マ行

松谷 みよ子(まつたに みよこ/1926~  )
『ちいさいモモちゃん』〔1976以前〕
 現実と空想が入り交じったほのぼのとした楽しい幼児のお話。日常の出来事の話もあるけど、カレーの具になるにんじんとじゃがいもとたまねぎが出てきたりするのはこの巻だったかな(次の巻だったかも)。幼児の様子がうまく書かれている本だと思う。黒猫のプーも良い。
『モモちゃんとプー』〔1976以前〕
 現実と空想が入り交じったほのぼのとした幼児のお話の続編。まだ「家庭の問題」が影を落とさない楽しいお話。妹のアカネちゃんはこの巻で生まれるんじゃなかったっけ。
『モモちゃんとアカネちゃん』〔1980以前〕
 ほのぼのとした幼児のお話…が子どもが育ってきたところで、幼年向けの本で両親の離婚という問題を扱って話題になったシリーズ3作目。両親が疎遠になる過程を「父親が靴だけ帰ってくる」というややシュールな形で表現しているのはうまいと言うべきか。このシリーズは幼児の様子がうまく書かれているのが良かったのだが、離婚を盛り込んだことばかりで評価されているようなのがいまいち気に入らない。またこの巻からモモちゃん中心の話からだんだんアカネちゃん中心の話になっていってしまうのも、1作目からモモちゃんに感情移入して読んでいる身には不満だったりする。
『ジャムねこさん』〔1976以前〕
 「子ぎつねコン」「花いっぱいになぁれ」「お星さまになったタイコ」「オバケとモモちゃん」「おんにょろにょろ」「ジャムねこさん」の6編を収録する短編集。オバケ屋にオバケを買いに行く「オバケとモモちゃん」がおもしろかった。「かおがないのにわらうんですから、むつかしいんですよ」の一節は秀逸。この人の作品はやや思想やテーマ的な面が強く出ていて私には今一つのものが多かったりするが、このナンセンスなオバケ屋の話は好き(これも近頃の子どもは…という話だったけど)。
『ふたりのイーダ』〔1980以前〕
 お気に入りだった女の子「イーダ」を捜していすがしゃべって歩き回るというファンタジーだが、原爆が絡む戦争ものでもある。「ファンタジーを書く」ということより、ファンタジーの手法を使って「戦争を書く」話であるということを考え出すと今一つか(素直に読んだ最初はそれほど教訓臭くは感じなかったかも)。「イーダ」を捜すいすの描写は印象的で、事実を悟る場面は悲しい。
『死の国からのバトン』〔1982以前〕
 独立した話ではあるが、『ふたりのイーダ』のゆう子の兄直樹が主人公となる、この家族が登場する一連の作品の2作目。直樹が先祖と出会うタイム・ファンタジー。これだけは近代の「戦争」がテーマじゃなかったかな。でも「教訓的」な話だったような…。
『日本の神話』〔1976以前〕
 日本の神話を再話したもの。私はこれで日本神話を覚えたような。ギリシャ神話と同じく、後半の英雄譚より前半の神様たちの物語の方がファンタジーの要素が強いのでおもしろくて好きだった。印象に残っているのは黄泉平坂のシーンや天岩戸騒動などのほか、マイナーなものでは2巻目のケースの絵になっている赤神・黒神の話や「国引き」の話など。ヤマタノオロチ退治やオオクニヌシ、海幸・山幸やヤマトタケルの話などは別のものが最初だったかも。
まど みちお(1909~  )
『てんぷらぴりぴり』〔1976以前〕
 子どものころ読んだ、「歌」でない子どものための詩集の多分唯一のもの(収録詩の中には「歌」になっているものもあるかもしれないが)。日本では「童謡」「歌」になっていない読み物としての子どものための詩は珍しいのではないかと思う。「つけもののおもし」「カバのうどんこ」「タマネギ」とかが印象に残っている。
みお ちづる(1968~  )
『ナシスの塔の物語』〔2001.10.23〕
 架空のアラブ風の小さな町の生活を描いたお話。文明の利器におごった人間が自然にしっぺ返しを食うとか、長年の職人の技の大切さとか教訓的に読める話だけれど、「こつこつと積みあげている塔」のイメージは秀逸。日本人にはなじみのない砂漠の町の生活や風俗がとても自然に描かれている。少年の成長物語、青春小説としての佳作。ファンタジーとは言えないかも。
三木 卓(みき たく/1935~  )
『かれらが走りぬけた日』〔1987.5〕
 不思議な場所に紛れ込んでしまう少年少女の物語。死者の世界のような異世界での性の目覚めを含んだ青春小説…のような話であるようだが、あまりおもしろくなかったという漠然とした印象以外は忘れてしまっている。どうも「幻想文学」誌で評価が高いのは私には合わないのが多いようだ。
『星のカンタータ』(角川文庫)〔1987.8〕
 さまざまな不思議な「ことば」の世界へと案内されるという少年SF小説。「ロケット・ショー」を見に行く、という始まりはブラッドベリを思わせる。「ことばのプラネタリューム」などのイメージも美しく、具体的な細かいことは忘れてしまったが、『かれらが走りぬけた日』よりこっちのほうが私の好みだったような…。
三田村 信行(みたむら のぶゆき/1939~  )
『おとうさんがいっぱい』〔1982以前〕
 児童ホラー短編集。「ゆめであいましょう」「どこへもゆけない道」「ぼくは5階で」「おとうさんがいっぱい」「かべは知っていた」の5編を収録。怖くて気持ち悪かったのでと~っても嫌い(笑)。そういうのが読んでみたい人にはおもしろいかなあ。まあありえないばかばかしい話と思えばその通りだが、団地の鍵っ子には「ぼくは5階で」なんかは怖いと思うぞ。強いて言えば「かべは知っていた」が前向きで良かったか…。
宮沢 賢治(みやざわ けんじ/1896~1933)
『宮沢賢治童話集』実業之日本社(全1冊版)〔1982以前〕
 宮沢賢治の作品はいろいろなテキストがあるが、家にあったのがこの本。500ページを越える大冊で、全作品ではないがかなりな数の作品が入っていた(ちなみにこの「全1冊版シリーズ」では家にはほかに『知っておきたい日本の有名な話』という逸話集があった)。でも全部は読まなかった気がする。

 好きな話は次の2作。

・「やまなし」
 最初は教科書だったかも。青いセロファンを使った幻灯という感じで、言葉のリズムとともにイメージが美しくて好き。ハープか何かの演奏をバックに朗読するっていうのを見たような聞いたような覚えが…(よく覚えてないので聞きに行きたかったけど行けなかったのかも)。

・「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
 とてもおもしろかった。上記の作品集で確実に読んだと言えるもの。でもあまり知られていない作品かも。「グスコーブドリの伝記」の原型となったものだと思う。実際前半はよく似ているが、「グスコーブドリ~」と決定的に違うのはこの話は「ばけもの」の世界の話(!)だということ。こんぶを取るのに木に上って網を投げたり(空中にいるフカやサメがあたってぐらぐらする)、「赤山の人だかり」だったり(ばけものたちの髪は赤い)、高い押し売りの物を買わないと「踊りをやるぜ」と言われて震え上がったり(「踊り」とは何かすごく怖いものらしい)、人間の世界に「出現」することが罪だったり(微妙なパラレルワールドになっているらしい)、興味深いことがいっぱいある。

 あと印象深かった作品は以下のもの。

・「注文の多い料理店」
 最初に読んだのは上記の本ではなく、多分平凡社の『絵本百科』3巻(1963)に載っていたものだったので多少ダイジェストしてあったかも。クリームを塗ったりいろいろなことをさせられるのが、かえっておもしろかったかな。

・「セロひきのゴーシュ」
 これも最初は別のもので読んだと思うが、何で読んだかは忘れた。でも何だか辛気くさい気がしてあまり気に入らなかった気が。茂田井武の絵のもので読み直してみようかな。

・「よだかの星」
 この作品も教科書か何かだったかな? これも辛気くさい話ではあるが、ラスト近くで飛ぶところは格好良かったような。

・「風の又三郎」
 この話は私はリアリズムの話として読んだ。「ファンタジーの味わい」はあるとは思うが。冒頭の部分などやはり言葉のリズムがいい。

・「銀河鉄道の夜」
 この作品はなぜか読むのを敬遠していてかなり後になって読んだものだが、結構おもしろかった。スケールの大きな作品で、イメージが美しい。ラストがちょっと気に入らない面がなくもないけれど。

 そのほか「雨ニモマケズ」「オッペルとぞう」「どんぐりとやまねこ」「月夜のでんしんばしら」「なめとこ山のくま」「虔十公園林」「税務署長の冒険」「めくらぶどうとにじ」「雁の童子」「毒もみの好きな署長さん」「からすの北斗七星」「さるのこしかけ」「祭の晩」「ふたりの役人」「土神ときつね」が収録されていた。
椋 鳩十(むく はとじゅう/1905~1987)
『片耳の大シカ』〔1976以前〕
 堂々たるシカの話じゃなかったかな。短編集だったようだが、表題作の具体的な内容や、ほかにどんな話が入っていたかは忘れてしまった。確か家にあって読んだ覚えがあり、どの版だったかは定かでないが、黄緑の背表紙だった気がするので多分これだろう。武部本一郎が挿絵だったと言われるとそんな気もする。1951年初刊。
向山 貴彦(むこうやま たかひこ/1970~  )
『童話物語』〔2002.2.17〕
 別世界ファンタジー。わざと狙ってつけたのかもしれないけどこの題名は…。分厚いし一応児童文学としては出なかったのかもしれないが、挿絵と不可分なところや内容的には児童文学でいいのではないかと思う。最初のうち主人公がこれでもかこれでもかというくらいみじめでいじめられていて性格も悪く読むのが辛かったが、あれ以上悪くならないというようなどん底から始まっているのであとがだんだん楽になったかも。世界はよくできていておもしろくこの物語で出てこなかった他の場所にも興味が湧くが、「主人公の優しさ・赦しが世界を救う」という解決方法はわりと月並な感じがする。しかし作中この後の時代ほどなく電気燈が一般化するというようなことが出てくるが、「妖精の日」が来て世界が滅んでしまうかもという話なのだから、「世界は滅びなかったんだな」と読者に教えてしまうような記述はちょっと不適切ではないだろうか。
森 絵都(もり えと/1968~  )
『カラフル』〔2002.5.23〕
 死んだはずが「抽選」にあたって現世に「再挑戦」するという物語。設定はファンタジーだが、実態は中学生の男の子の日常生活を描いたほとんどリアリズムの話。途中でオチはこうだろうと予想がついたけれど(というかそうなればいいなと思ったけれど)、軽いタッチで明るく読める「青春小説」でなかなか良かった。うまい作品を書く人だなと思わせる。第46回産経児童出版文化賞を受賞。
『にんきもののひけつ』〔2008.6.?〕
『にんきもののねがい』〔2008.6.?〕
『にんきものをめざせ』〔2008.6.?〕
『にんきもののはつこい』〔2008.6.?〕
 小学校3~4年生の話だが、中学年向けというより幼年童話か絵本の形式の楽しい物語。ただし登場人物が結構難しい言葉を使ったりして(最近の小学生はあんなもん?)、内容は高学年でもOKな感じ。同じ人物が出てくるが主人公は全部異なり、1・2巻が男の子編、3・4巻が女の子編でそれぞれ違った物語が楽しめる。なかでも4巻の女の子の印象が強烈。どれも小学生の日常の日々(の悩み?)を描いていて一見他愛無い話だが、人生の深いところが垣間見える? 低学年ものもうまい作家だと感じられる。
『DIVE!!』上〔2009.9.3〕
 単行本1巻「前宙返り3回半抱え型」(2000)、2巻「スワンダイブ」(2000)を一部・二部とした合本文庫化の前半。それぞれの巻のラストが次の巻の話につながるので、全体で一つの話という感じ。児童文学は初版のハードカバーで読むという原則に反して文庫版で読んでしまったが、この後に出たハードカバー一冊版で読んでも良かったかも。一部は普通の少年(?)だった知季の成長物語。平凡に見えた少年に実は秘められた才能があって…というサクセスストーリーで、導入としてはうまいつくり。失恋は当然と言えば当然の成り行きだけど、弟と彼女は本当にあれでいいんだろうか。二部は野生児・飛沫の物語。祖父の影を背負って、競技としての飛込みにいろいろ抵抗もあった彼の心の揺れを描く。中高生向けの読み物としていいのか?という描写もあるが、何もない方が不自然か。
『DIVE!!』下〔2009.9.7〕
 単行本3巻「SSスペシャル'99」(2001)、4巻「コンクリート・ドラゴン」(2002)を三部・四部とした合本文庫化の後半。三部はクラブのエース・要一の物語。親は元優秀な選手というサラブレッドで秀才肌の自信家で実際実力者だが、政治的な思惑に納得できない気概も持っている。日本水泳連盟の会長って先頃急死した古橋広之進がモデルでは…。四部は運命の大会をこれまでの主人公三人を含めたオールスターキャストで描く。要一のぶっちぎりかと思いきや、彼の思わぬ体調不良により順位は定まらず息詰まる展開に。幸也やレイジ、富士谷コーチなど今まであまり描かれてこなかった人々の視点もあり、大会後のラストではピンキー山田もいい味。映画は観ていないが、文庫版の帯の三人の写真を見て、どれが誰かすぐにわかった…と思っていたら知季と要一が逆だったことを知ってちょっとびっくり。飛込みという競技は全くと言っていいくらい知らなかったけれど、青春小説としてもスポーツものとしても大変おもしろく読める。森絵都はやっぱりうまい。第52回小学館児童出版文化賞を受賞。

ヤ行

山口 華(やまぐち はな/1966~  )
『海鳴りの石―ニディナ城の巻』〔1993.4〕
 夫が知人である作者から贈ってもらった本。小国の世継ぎの君が陰謀に巻き込まれるという、まあよくあるタイプの別世界ファンタジーで、主人公に現代人の青年がシンクロして…というのもそう目新しくはないけれど、いろいろなディテールはなかなか興味深いものがある。それだけに、読み終えて一番の感想は「こ、こんなところで終わるなあ~」。次々続きが予定されているのならいいけど、続巻未定でこの終わり方は辛い…。主人公、もっと何とかしろー!
『海鳴りの石II―呪われた石の巻』〔2001.9.6〕
 小国の世継ぎの君が陰謀に巻き込まれるという別世界ファンタジーの2巻目。無事出たこの巻も「えー、こんな風に終わっちゃうの~」。全3巻を予定しているらしいが、続きはいつ…? こういう風に引っ張る場合は、最後まで続けて一気に出して欲しかったなー。作者か出版社に完結編をリクエストしよう! それにやっぱり物語はハッピーエンドじゃなきゃ…。
山下 明生(やました はるお/1937~  )
『うみのしろうま』〔1976以前〕
 海からやってきたしろうまを見た少年の物語。結果的にはファンタジーとは言えないかもしれない作品だが、「ファンタジーの味わい」がある。波頭から白馬を連想する人は多いようで、ピーター・S.ビーグル『最後のユニコーン』とか、ヘレン・クレスウェル『海からきた白い馬』とかもあるが、後者をどこかで誰かが「イギリスの山下明生」と言っていたっけ。
湯本 香樹実(ゆもと かずみ/1959~  )
『夏の庭―The Friends』〔2000.4.19〕
 死体が見たい…スティーヴン・キングの『スタンド・バイ・ミー』のような始まりだが、ちょっと違う。「対象」はまだ生きていたのだ。一夏の、ささいな日常だけれど心にしみる。老人と少年たちとの交流、でこぼこトリオな少年たちの「友情」や様々な思いがさらりと描かれる。こうなるんだろうな、という展開で話は進むけれど、嫌味でない上質な「青春小説」とでも言うべき小品。
吉村 夜(よしむら よる/1972~  )
『メルティの冒険―遥かなるアーランド伝説』〔2000.6.30〕
 それぞれの「夢」をかなえるため、仲間をふやしながら旅をするというこれもよくあるタイプの話だけれど、主人公が強くたくましい女の子なのが少し異色でそれが魅力。得物も剣じゃないけど、地に足が着いている感じで良いかも。本人の「夢」についてはちょっと気の毒だけど、読者としてはあの方が安心できたりして。軽くてさっと読めて、後味は悪くない。

ラ行

寮 美千子(りょう みちこ/1955~  )
『小惑星美術館』〔2001.10.21〕
 本の外観を見て、何となく気になっていた本だったことを思い出した。ふと「別の世界」に入り込んでしまった少年の、コンピュータに管理されたユートピアはこれでいいのかというSFファンタジー。一昔前のSFにありがちなパターンで教訓臭がないとも言えないところがちょっと何だけれど、透明感のある感性が光る佳品。「こっちの世界」も無国籍童話的。「銀河盤」のイメージが美しい。
『ノスタルギガンテス』〔2001.12.25〕
 この作品は現代(近未来(?))の日本のどこかを舞台にした物語。とある巨木のところに日々ふえ変化していく「キップル」。その微妙な「心」を捉えられない人にとってはただの「ゴミ」「ガラクタ」。名づけたり固定したり、ましてや建物の中で展示したりすると「命」を失うもの。「路上芸術」のようなもののありようがよく描かれている。タイトルは『ノスタルギガンテス(なんかじゃない!)』とかにして欲しかったかな。
 『小惑星美術館』はわりとストレートな少年SF小説だったが、この話はなんとも形容しがたく、形としてはファンタジーでも「無国籍童話」でもないが、どこか「幻想文学」の香りがする作品。挿絵もなく児童文学というよりヤング・アダルトか大人向けの作品という感じ。役人や「カメラ男」「石膏像」などの「自称芸術家」に対する筆も皮肉が強く風刺的。息子の気持ちも考えず物を捨てたり、マスコミや役人にへらへらしたりするお母さんはすごく嫌いなタイプかも。自分の「キップル」を見分ける目があったことに見直しかかったけど、あれも単に流行の尻馬に乗っただけか…。
 『小惑星美術館』のときも思ったが、この作者は博物館や美術館に思い入れがあるようだ。「太陽噴水」に「銀河盤」の面影を見る。

ワ行

渡辺 茂男(わたなべ しげお/1928~2006)
『寺町三丁目十一番地』〔1976以前〕
 自伝的物語で、古い話だけど子どもたちが生き生きと遊ぶところなどがおもしろかったと思う。特に初めの方の食べ物の描写が印象的だったような(子どもたちで集まったときにパン屋の子がカステラのかけらを持ってきて喜ばれるのとか、一家の食事シーンとか)。私がこの人の物語で一番にあげるのはこれ。
『もりのへなそうる』〔1976以前〕
 幼年向けのファンタジー。森へ遊びに行くと大きな卵があって、そこから不思議な生き物が…という楽しいお話。エルマーのりゅうのように格好良くはないけど、とぼけた味わいが良かった。遊びに行くときのお弁当もおいしそうだったなあ。本の最後の余ったページにはへなそうるの後姿の絵が少しずつ小さく縮小されながら印刷されていて、だんだん遠ざかっていくように演出されていた…。
わたり むつこ(亘理 睦子/1939~  )
『はなはなみんみ物語』〔1986.10〕
 小人兄妹の冒険を描く別世界ファンタジーの1作目。背景の「戦争」のことがちょっとクサくてぎごちなかったり、メルヘンタッチなところが少しちぐはぐな感じがしたりしないでもないが、結構「本格ファンタジー」っぽい、よくできている物語。ただ個人的に「みんみ」はいいけど「はなはな」というネーミングがなあ…。しかしどうして「悪」が「羊」なのかな?(キリスト教が嫌いなのかな?)
『ゆらぎの詩の物語』(講談社文庫)〔1990.10〕
 小人兄妹の冒険を描く別世界ファンタジーの2作目。今度は新しい土地、新しい仲間も出てきて世界が広がっていく話。
『よみがえる魔法の物語』〔1990.12〕
 小人兄妹の冒険を描く別世界ファンタジーの3作目の完結編。やっぱり「戦争」がテーマの話なんだよなあ…。「愛と冒険の感動の物語」…いやそれが悪いわけじゃないんだけど…。まだ国産の別世界ファンタジーが珍しかった当時、よくまとめているとは思うけど、もう一つ何か食い足りないような気がするのは贅沢か。

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